まったくボクってやつは・・・

玄田 有史(げんだ・ゆうじ)
1964年10月30日、東京オリンピック閉会後
すぐに生まれた。9年後の同じ日に
トイレットペーパー騒動が起こった。
小さい頃の写真をみると、やたら頭がデカい。
「でこっぱち」と言われるのが、当時は
かなり辛かったのだったが、今みると
そうとしかいいようがない。
高校卒業し浪人生活をしていた18歳まで
島根県松江市で育った。結構、山陰っていう
言葉は好きだ。はじめて新幹線に乗ったとき
静岡あたりはまるで明るすぎと思った。
浪人時代が一番本を読んでレコードを
聴いて、映画も観ていた気がする。
記憶に残っている本は『暗夜行路』。
レコードは、ピストルズ。(ビーじゃなくピス)
映画はオールナイトなら何でもよかった。
「時をかける少女」とか見たりしたし。
1984年4月、東京大学教養学部入学(後、経済学部進学)。
経済を選んだのは当時、数学が結構得意だったから。
反対に高校でまったく苦手だったのは、国語と地理。
大学時代に印象に残っているライブは
ルースターズ、ブルーハーツ、ブルース・ホーンズビー。
ビアホールで働いていて最高15杯くらいまで
大ジョッキが運べた。でも一度、それをお客さんに
全部かけたことあり(スマン)。
大学を卒業して、どうしようかと散々悩んだ挙句に
1988年4月、なぜか大学院に進む。進学直後に、
「このままだと一生、就職できないかもしれない」
と気づき、はじめて焦る。
その後、ご縁があって、1992年4月から2002年3月まで
学習院大学でご厄介になる。
当時、お世話になった
島野卓爾先生から飲むたびに言われていた
「ケチな奴はいい学者になれない」
は今も肝に銘じている。
学習院にいるあいだ、恩師の
石川経夫先生から
「玄田君、行ってください」
と突然言われ、1995年に
ハーバード大学に客員研究員。
レッドソックスの試合によく行った。
いろんな意味で人生観が変わった。
96年に友人の
マーク・レビックさんを頼りに
今度はオックスフォードへ。毎日テニスばかり
していたので
「ユウジは、テニス留学か?」
とマジで言われる。
2002年3月に
石川先生との約束だった
経済学博士号を大阪大学で取得する。
2002年4月から東京大学社会科学研究所に。
今は本郷の大学院時代に通った相部屋の一階上
の研究室で、どんより仕事をしている。
41年なんとか生きたが、
こんなことになるとは
まったく思ってもいなかった。
人生は、ようわからん。
ちなみに、バカボンのパパは
41歳らしい。