「誤解や偏見に負けてはいけない」
―『関西こども文化協会ニュースレター2005年No.18』
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ニートがどんな人かと問われれば、仕事をしていないと同時に、仕事に就くための行動をしていない人ということになります。2000年代に入り、若者の雇用問題に注目が集まってきましたが、もっぱら取り上げられたのは、仕事を探している「失業者」か、学校を卒業後に正社員以外で働き続ける「フリーター」でした。
しかし実際には、35歳未満の学卒独身者に限っても、2002年時点で85万人の職探しをしていない無業者がいます。それほどたくさんいたにもかかわらず、これまで社会から完全に無視されていたのです。「ニート」という言葉が登場したことで、その存在を世の中が知ることになったのは、大きな進歩でした。
存在が知られるようになったことで、「若者・自立挑戦プラン」という、政府の本格的な若年就業対策も動き出しました。90年代末までの就業対策といえば、離職した中高年に対するものがほとんどでした。政府が若年のために多額の予算を投入するようになった現在は、まさに隔世の感があります。
ただし、ニートが知られるようになると、その存在が今度は、無視から批判の対象へと変わりました。ニートを「働かない若者」ときいて「だらしない」「無気力」という言葉が、容赦なく突きつけられます。テレビでニートが取り上げられると、カメラは必死に無気力でやる気のない若者を探し出したり、だらしない若者であると視聴者を感じさせるような、演出に工夫をこらします。
ニートを取り上げた特集番組では、ニート本人をきまってニートを擦りガラスの向こうに置くか、そうでなければその顔にモザイクをかけ、世間に顔向け出来ない存在という印象を植えつけます。ある番組は、働いていない若者に「働くことは負けだと思っている」と言わせていました。そんな映像を見れば、多くの視聴者がニートを嘆かわしい存在と思うのも、仕方ないことなのかもしれません。
一方、実際にニートの若者への支援を続けている方々が、地域の勉強会などを通じて、本当のニートの実情を伝えようと発言されている機会も、最近は多いようです。そこではメディアが伝えるニート像とは対照的に、彼らがけっして怠惰な存在などではなく、むしろ多くは真面目すぎる存在であることが話されています。働く意味だとか、仕事のなかで自分らしさをどう実現できるかを考えすぎるあまり、立ち止まってしまった若者であったり、人と普通に交わることに様々な理由で極端な苦手意識を持ってしまった若者であるのが、ニートの実情であることを、支援者は語り続けています。
どうすればニート状態となった人々の自立や就労を実現できるのか、その明確な方策は学問的にも見出せていません。若年就業対策にしても、すぐに抜本的な効果が表れないとなると、無駄だとか、止めるべきといった声がこれから噴出するでしょう。ニートの実情を知る現場の方々が、真実の姿をいかに訴えても、メディアの伝達力は強大です。
でも、勝負はこれからです。偏見や誹謗に対して支援者は、それぞれの立場で事実を語り続けてほしいと思います。ニートにとって、無視を経て批判の後に来るのは、失望や諦めであり、場合によっては強制という言葉で表される事態です。家族を含めた支援者が、支援疲れで倒れることなく、ときには楽観的にもなりながら、粘り強く自立のための行動を続けていかれることを、応援者の一人として願っています。