対面は
実に不便だ。
対面には
移動が伴うが、
移動には
物理的、時間的、金銭的に
少なからず費用がかかる。
さらに現在は、感染という
リスクも伴うことになる。
それでも
わざわざ対面を行う
とするならば、
そこには
「どうしても会いたい」
「会わずにはいらない」
といった強い衝動があるからなのだろう。
それは会うことの意味という次元を
超えているのだと思う。
そしてその衝動は、
会って同じ空間にいることで
目にみえない波動、さらには
反響や残響などを共有することに
他にはかえがたい
その瞬間以外には考えられない
生きていることの実感やよろこびを
得られるからだ。
そしてそれは
大部分が偶発的なものなのだけれど、
なんらかの新たな価値との出会いを
生むこともある。
そしてそのライブの経験は
すごい瞬間に
「立ち会った」
「居合わせた」
記憶として
いつまでも余韻が残り続ける。
会議であれ、
芸術や芸能であれ、
個人的な出会いであれ、
対面というライブが
どうしても
必要とされるのは、
やはりそれが
生というものの本質と
深くかかわっているからなのだろう。
それをライブ(「生きる」)と
名付けた人は
すごいと思う。