SNEP (46)

私はこれから
孤立無業のことがもっと研究され
もっと知られるようになり、
そのための対策や政策が
実行されるようになってほしいと
考えています。
一方で、私は「政策」ということに
ついて、どのようなことを考えてきたか、
今もどのように考えているかも、少し
お話しておきたいと思います。
その思いは、2010年に書いた
『人間に格はない』という本に記して
います。その本は2000年代後半に
行った自分の研究をまとめると同時に
その年の6月26日に十三回忌を迎えた
師匠である石川経夫についての思い出
を書いたものです。
そのための草稿の一部を、少し長くなりますが
以下に引用します。

「学者は霞ヶ関に行ってはいけない」
何の話の途中で出てきた言葉であったかは、定かではない。
ただ大学院生時代の1990年代初めのある日、
研究室で石川先生がおっしゃったその言葉は、
今でも鮮明な記憶として残っている。
その意味は何か。
霞ヶ関に行くとは、政策に関与するということである。
学者が政策の立案に対して安易に関わりを持とうとしたり、
ましてや政策を通じて社会に影響を与えようなどという、
大それたことを考えてはいけない、という戒めである。
ひるがえって2000年代の経済学研究は、石川先生の言葉とは
正反対の方向に進んできたように感じるのは、私だけだろうか。
経済学者が政策に関与する機会は、実際大きく増えた。さらに
霞ヶ関に行かずとも、学会やワークショップなどで論文を報告すると、
必ず誰かから「その政策的な含意(インプリケーション)とは何か」
といった類の質問を受けることになる。そして政策的含意が明確ではない
論文は、有益でない研究とみなされがちである。
私は論文を書いて「それがどのような政策につながるのですか」
といったことを先生から問い質されたことが一度もなかった。
政策、なかでも労働政策は、総合的な観点から判断し、
立案・実行されるものである。多くの前提条件にもとづく、
たかだか一本の論文からもたらされた含意など、
そのまま通用するほど、政策は単純でない。
では、政策に直結することが目的でないとすれば、
研究の目指すべきものとは、そもそも何なのだろうか。
未だ注目を集めていない深刻な社会問題を見出し、
なぜそのような事態が起こるのかを説明する理論を構築すること。
その理論仮説が妥当であるかどうかを、極力厳密な実証研究の手法を
通じて検証すること。その上で課題が残るとすれば、解決に向けた
道筋を明らかにした上で、次世代の研究へとバトンパスすること。
それらが、石川先生から私が学んだことである。
先生はあるとき、こんなこともおっしゃったことがある。
「学者は、一年のうち、三ヶ月くらいは
紙と鉛筆だけの生活を送らないといけないんです」
研究以外の大学業務が多忙を極めていらした時期に、
ご自身に対して語りかけるようにしてポツリといわれたことを、
おぼえている。
だが、霞ヶ関にしろ、紙と鉛筆にしろ、
先生ご本人が様々な葛藤のなかにいらしたこともまた事実である。
1990年当時に先生が注力されていた労働市場の二重構造を検証する
ためには、「賃金センサス」の個票データ利用が不可欠だった。
先生が滅多になさらなかった、官庁での研究会の委員長を
お引き受けされたのも、そのデータの利用機会を得ることの代償だった
のではないかと、私は秘かに思っている。
その成果は、日本の労働市場の二重構造をはじめて厳密なかたちで
実証した論文「労働市場の二重構造」(出島敬久氏との共著、石川経夫編
『日本の所得と富の分配』所収、東京大学出版会、1994年)に
結実している。
明らかに政策志向よりも、理論志向そして実証志向であった
石川先生からすれば、2004年から2005年頃の私自身が置かれた状況は、
けっして褒められたものではなかったのかもしれない。
2004年7月に『ニート』(曲沼美恵氏との共著、幻冬舎)を
世に問うたのをきっかけに、就業に困難を極める若者の支援策の充実に向けて、
文字通り、政策志向の日々を私は過ごしていた。
霞ヶ関の複数の省庁で若年雇用対策に関する研究会にひんぱんに参加したり、
発言したのはもちろん、新聞や雑誌などからのインタビューや寄稿の依頼、
さらには国会や政党からの依頼なども、できる限り断らなかった。
何がそのとき私を若年雇用政策に向けて突き動かしていたのかは、
ここでつまびらかにはしない。ただ当時の思いについては、
2008年2月3日に行われた労働政策フォーラム「若者自立支援、この3年を問う」
の講演のなかで話している。その内容は、
http://www.jil.go.jp/kokunai/blt/bn/2008-04/index.html
にみることができる。
一つだけ敢えて述べておくとすれば、『ニート』を書いたことをきっかけに、
長年、若者自立支援の現場で奮闘されている多くの方を
知るところなったことは大きかった。
その結果として、その活動を支援できれば、支援される側だけでなく、
支援する側の人材育成につながればと、思っていたのは確かである。
支援現場の方々から学んだことは、数多い。本を構想していた当時から、
フリーターでも失業者でもないニート状態の若者を社会にどう位置づけるか、
その定義が定まらず思い悩んでいた。そんなとき、支援団体の勉強会に誘われ
「今でもニートをどう定義すればよいかわからない。その輪郭も正直つかめない」
と正直に話したところ、その道何十年という方から
「それでいいんだ。定義なんかするな」
と言われたことがある。
「学者はすぐ定義したり分析したりするけど、それだけじゃだめだ。
今まで焦点が当たっていなかった人すべてだと言えばいい」。
本章(『人間に格はない』第3章)で取り上げたニートには、
定義の問題も加えて「若者のレッテル貼りにつながる」という批判を
受けるであろうことも、当初から覚悟していた。だが客観的な研究には、
対象の類型化は、どうしても不可欠である。ニートも個々の若者によって違う
というだけでは、その理解は深まらない。レッテル貼りという批判を受けたとしても、
思い切った整理を誰かがしなければ、適切な対応は期待できない。
レッテル貼りは無論良くない。ただもっと悪いのは、存在を無視することである。
他にも、知り合った支援現場の方々から学んだことは多々ある。
なかでも20年以上活動をされている方が、支援の心得としておっしゃった
「大事なことは、いいことをしていると思わないこと」
というひとことが忘れられない。いいことをしていると思って支援されている人は、
どんな思いをするだろうか。それに支援する方も、いいことしていると思いすぎると、
うまくいかなくなったとき、「こんなにやっているのに、どうして?」と、
かえって心が折れやすくなるのかもしれない。それは支援だけでなく、
研究の姿勢にも通じるものだ。
このような経験を積んできた2年間、
「石川先生が生きていらしたら、はたして認めていただけたのだろうか」
と考えたこともあった。そんなとき
「だとすれば、無業の若者についての学術論文を書くべきでしょう」
と言われるのではないかと思い立つ。そうだ、意見や批判への返答は、
研究者であるのなら、すべて学術論文の場で行うべきなのだ。
学術論文の主張が客観性を保つには、寄稿を依頼されて書くような、
発表の機会が予め与えられたものでは十分でない。みずからの意思で投稿し、
レフェリーの厳しい査読を経た上で、採択されなければならない。
ふり返ると2004年から2005年頃は、単著の論文を学術雑誌に
投稿するということを、忙しさなどにかまけて、ずっとしてこなかった
自分がいた。
忙しさといえば、はじめて私が就職することを報告した際、
先生からは当初賛成はされなかった。ご縁があって学習院大学から
お誘いをいただいたが、その結果、大学院を4年で中途退学する
ことになったからだ。石川先生は
「焦って就職するよりも、勉強や研究に専念することができる
学生という時期をもっと大切にするべきではないか」と言われた。
いろいろなことが忙しくて論文を書く時間がないなど、先生には
今でも到底いえないと思っている。
そのような経緯でニートに関する実証研究をひとりで行い、
投稿・採択されたのが、本章(『人間に格はない』第3章)の
論文である。石川先生が生前一度だけ、私の論文を評価してくださったことがある。
「資質か、訓練か-規模間賃金格差の能力差説」という『日本労働研究雑誌』
(第430号、1996年1月号、17-29頁)に投稿採択された
単著の論文だった。
それから11年後に書いたこの論文には
「これからも勉強してくださいね」と、
先生から言われそうな気がする。そして
「学者は政策より理論と実証ですよ」とも。