昨日の雇用システムワークショップの
お二人のご発表もいずれも示唆に富んで
学ぶところが多かった。
そのなかでふと個人的に感じたのが、
仕事の範囲、もしくは期待される役割に
ついてという問題。
ざっといえば、これまで日本では、期待
される仕事の範囲や、それにもとづく評価に
曖昧さをあえて残すことを選択してきた。
仕事の範囲にのりしろを残すことで
緊急のときなどに柔軟性を確保するメリットが
大きかったからである。
ただ、時代の変化のなかで、そのメリットよりも
仕事という概念が曖昧なことへのデメリットが
大きくなっている。曖昧であることは、ややもすると
「なんでもやる可能性がある」ということであって、
多かれ少なかれ、様々な制約がある人々が増えるなかで
働く人と雇う人のあいだの齟齬が大きくなっている。
それはよくjob descriptionの問題といわれるが、
あらためてその点について考えさせられた。
では、job description、つまりは自分が果たすべき
仕事の役割や責任をより明確にすることが近未来的に
重要だとしたときに、何が決め手になるか。
一つのアイディアは、自分の仕事に関する範囲や責任に
ついての発言力や表現力を、一人ひとりがより身につける
ことではないか。
これまで、企業からすれば、どちらかというと、そのような
発言力や表現力を労働者が持たないほうが、柔軟に
対応を要求する上では、便利だった。しかし、これからは
むしろそれらを個々の労働者がもっと身につけられるように
企業側も積極的に取り組むことが、企業と労働者の個別の
コミットメント(約束)を強め、信頼関係を増すことで、結果的に
評価の納得性や生産性にプラスに働くのではないか。
つまりは、労働者のボイス(発言)を鍛えることも、これからの
企業の重要な能力開発投資になるように思えた。
その場合、仕事の範囲や責任を表現するとは、逐一
すべて厳格に線引きするということではない。明確に
する部分と、あえて曖昧にしておく部分の範囲を決める
ことも、含まれる(むしろ、それが重要だろう)。
自分の仕事を自分の言葉を語れるようになるのは
正規、非正規を超えて簡単ではない。ただ、一人でも
多くが、自分の仕事を誇りを持って語り、約束できる
状況を実現することが、近未来の雇用システムを設計
するときの、一つの理想状況ではないか。
そんなことを昨日は考えさせられた。
雇用システムワークショップは、たいへん多くの方に
ご参加いただいて、幹事の一人として嬉しい。でも
いちばん嬉しいのは、労働問題を勉強している実感を
強く持てることである。