「たいへんなときにニューヨークにいましたね」
と先週、結構、メールをいただいた。
ただ、正確に説明すると、同じニューヨーク州でも
コーネル大学のあるイサカという大学街に、ヤンキース
の優勝当時やパレードのときは、いた。だから瞬間は
すべてテレビでみた。松井が活躍していた瞬間も
大学の人たちと懇親会(打ち上げ?およびなんと
初のアメリカ・カラオケ!!)をしていたので、ライブでは
みていない。
優勝の決まった瞬間は、12時頃でパブで
ひとり観ていた。周りでは叫んでいるヤンキースファンと
叫んでいるフィリーズファンがいた。ボクはさけばなかった。
イサカは、とてもおだやかな大学街だ。自然に恵まれていて
多くの議論が刺激的だった。911以降、ニューヨークシティから
移住してきた人も多いらしい。
私はカープファンであるけれど、同時にレッドソックスファンだ。
理由は、1995年にはじめてアメリカに長期滞在したのが、
ボストン(正確には隣のケンブリッジ)で、その期間、実に
頻繁にレッドソックスの本拠地である、フェンウェイパークに
足繁く通ったからだ。
当時のレッドソックスは、ピッチャーは
クレメンスがいたり、今も投げているナックルのウェイクフィールド
がいた。バッターは、4番は、モー・ボーンだった。弱かったからか
チケットは、すぐに手に入った。生でみて印象的だったのは、たしか
当時マリナーズにいたケン・グリフィー・Jrだ。なつかしい。
だから、今回この時期に、ニューヨークにいたものの、ちょっと複雑な
気分だった、というのが、率直なところでした。
以上、ニューヨーク通信、終わり。