きめこまかさとおもてなし

 これまでの日本の良いところは
 「きめこまかさ」と「おもてなし」だった
 と思う。
 産業面で、決めこまかさを担っていたのは
 主にものづくりの分野、おもてなしを担って
 いたのは、一部の流通系も加えたサービス
 の分野だろう。
 それらはそれぞれすばらしいものだし、
 今後も残っていってほしいと思う。
 
 問題は、多くがきめこまかさとおもてなしの
 どちらか一方を担うことが多く、その両方を
 持ち合わせることが少なかったことではないか。
 両方を持ち合わせてきたのは、一部の食べ物屋
 さんとか、旅館などが多かった。
 やや断定的なもの言いでよくないが
 ものづくりは、きめこまかささえ追求すれば
 自然と買ってもらえるものと信じていた。
 今回のトヨタの一連のトラブルは、そのいったん
 を垣間見せたのかもしれない。
 おもてなしは、かつてはないなりに、いやないことを
 おもてなしで補ってきた。それにきめ細かさの裏打ち 
 がある「実」があれば、盤石である。
 これからは、産業や職業などを超えて、長所である
 誰もが「きめこまかさ」と「おもてなし」の両方を兼ね備えよう
 とすることだと思う。しかもそれを「精神」や「心」ではなく「技術」
 もしくは「知恵」として追求すべきだと思う。
 その意味で、高齢社会はチャンスでもある。両方を兼ね備えて
 きた、もしきは兼ね備えようとしてきた先人の経験が高齢社会
 には蓄積されている。それをもう一度見つめることによってこそ
 ヒントは知恵になる。
 きめこまかさとおもてなし。
 ギネスの泡以上の決めこまかさと
 ミシュランを困らせるくらいのおもてなしの 
 両方を持とうと努力する人の数に
 未来はかかっていると思う。