さなぎの時代

昨年(正確には一昨年だけれど)、
 『人間に格はない』を書きながら
 思っていたことがある。
 それは、日本のシステムには、
 いろいろ難題山積みであるのは
 間違いないが、それでも特有の
 「したたかさ」は健在だということだ。
 あわせて、日本人、特に日本の
 若者も、全般的にはそれほど弱い
 存在でもないと感じる。サッカー
 の成果とは関係なく。
 そもそも「内向き」とは何かが
 よくわからないが、仮にそれが 
 「内向き」であったとしても、
 内向きに敢えてふるまっている
 したたかさがあるようにも思う。
 80年代後半の日本の雇用システムが
 礼賛されていた時期には、日本人は
 働いても働いても不幸だ、物価は高いし
 「うさぎ小屋」のような狭い家にしか
 住めないし、家を買うには2時間近くも通勤
 しなければならない、といったことが
 言われていた。今は、どうだろうか。
 課題がない時代など、ないのだ。
 外国の新聞などでインタビューを受けると
 きまって、悲惨な日本の若者の現状を知りたい
 と思ってくる。こちらは上手くもない英語で
 必ずしも悲惨なことばかりでなく、日本の若者
 は案外総じてしたたかでずぶとい、ということを
 言うのだが、必ずしも満足していないようだ。
 だが、これもこれで、自分のなかの小さな戦いだと
 割り切って、反論を続けていかなくてはいけないと
 思う。
 たしかに現状のシステムは、雇用や社会保障など
 若者にとって過酷な面も少なからずある。それが
 この先、限界点を超えると、きっと有為な若者から
 日本を捨て、もっと自分たちを生かせる場所へと
 出て行くだろう。それは本人にとってもいいこと
 だろうし、巡り巡って社会全体にとってもいいこと 
 だと思う。
 今の「内向き」は、事を為すための孵化期間、
 さなぎの時期なのかもしれない。