知的熟練とは

昨日で
9月から始まった
大学での経済学部と法学部の
合併講義である
「労働経済」の前半が終了。
これからは折り返しになる。

予想以上に
たくさんの学生さんが
毎回参加してくれて
ありがたいと思っている。

一人ひとりには向き合えない
人数なので、
質問や意見がある学生からは
メールを送ってもらうようにしているが
こちらも毎回授業後に
たくさん届く状況だ。

一応全員に必ず返信する約束はしている
ので、現在溜まっている分も
早々に返事をしなくては。

昨晩、友人のOさんと呑む機会があり、
東大の学部で初めて授業をしていること、
そのなかで、小池和男さんの知的熟練に
ついて強調して話をしていることなどを
伝えた。

そのときOさんから「?」という反応が
起きたことがある。それは小池先生の
知的熟練を、私が

「異常と不確実性への対応(力)」と

話しているといったときだった。
実際、小池熟練仮説は、正確には

「変化と不確実性への対応(力)」

である。

Oさんのブログでは、より詳しく
「知的熟練とは
事前には十分予測できない
(しかし必ず起こる)変化
問題といった確実性対応する
ノウハウ」と記されている。

その話を聴いて面白いと思ったのは、私が
知的熟練を「異常と不確実への対応」と
信じて、まったくに疑いを持たなかったことだ。

なぜだろう?

おそらくは、
1990年代から2000年代の
労働問題を考えているうち、
90年代末からの未曽有の雇用調整、
リーマンショックによる急激な失業増加、
東日本大震災による被害など、
まさに異常事態の連続に対して
いかに企業や本人が振る舞うかが
問われたという意識を知らずしらず
強めていたのだろう。

そして組織や企業の範囲を超えた
「異常と不確実性への対応」
という知的熟練を
高めることが、
これからの労働には
益々必要になると私が確信している
ことがそのような思い込みにつながった
のだろう。

(最近、中馬宏之さんが
これから必要なスキルとして「自己変化能」
という言葉を提案していて、とても共感した)。

後半最初の授業で、学生さんに
お詫びの上、訂正しなければならないが
(その分、記憶には残るかもしれない)
併せて思い込んだ理由や背景についても
丁寧に説明したいと思っている。

注)
ちなみに
小池和男『仕事の経済学』(東洋経済新報社)
第5章「知的熟練」の冒頭は
「1 異常と変化への対応」
となっている。