希望学を
始めた
2000年代半ば頃には
希望の中身を問うと
安定した仕事
自分らしい仕事
両立できる仕事
など
仕事にまつわる希望の
語られることが
日本では多かった
ように思う。
それが
リーマンショックと呼ばれる
怒涛の世界金融不況と
多くの命を奪った
東日本大震災を
立て続けに
経験し、
頑張って仕事をすることを
通じて希望を叶える
といったことに一定の
虚しさや諦めが
広がったように思えた。
多かった仕事にまつわる希望から
家族や健康にまつわる希望が
より強く意識されるようになった
のもその頃からだろうと思っている。
原因や解決策の未だ見えない
感染症という
自分が努力するだけでは
どうにもならないかもしれない
新しい
どうしようもなさ
を前にして
仕事という希望は
どこに向かっていくのだろうか。
ますます仕事を希望に思う
気持ちは弱まっていくのか。
それともこのような状況のなかで
懸命に仕事をする
仕事ができる
ということへの見直しの機運に
つながるのだろうか。
震災後に
今こそ希望学を
というお声をいただいたことがあるが
今もまた
改めて考えるべきなのかも
しれない。