助成

労働生産性の向上が、これからの社会にとって課題であるらしい。そんななか昨日、雇用問題についてのある研究会で「助成金によって生産性を上げるというのは無理(むずかしい)」といった発言をした。

その真意は、こうだ。本気で生産性を上げたいと思っている会社があったとする。そのためには設備投資なども必要で、資金が足りない。だとすれば、その会社は地域の金融機関などに必死に融資を願い出るだろう。以前と違って資金は潤沢にある金融機関は、優良な融資先を常に求めており、会社に可能性があれば、資金を用立てているはずだからだ。そこに助成金が入り込む余地はない。

助成金目当てに生産性向上というのは、不正の温床になりやすいだけでなく、そもそも動機としてうまくいかない。1990年代の終わりから2000年代はじめごろにかけて、これからはベンチャー企業がたくさん出てくることが日本経済に欠かせないといった話が流行り、そのための助成金政策も試みられた。しかし、それがうまくいったという記憶がまったくない。残っているのは「おカネを与えるだけでは人は独立したり、チャレンジしたりしない。」という印象だけだ。独立のために必要な助成という発想は、いつしか助成を得るために無理な独立をしようとするということになり、結局うまくいかなかった。

では、生産性向上に必要なのは助成金のようなアメではないとすれば、ムチなのだろうか。最低賃金を引き上げることで、中小企業経営にプレッシャーをかけ、生産性向上を促すというのは、ムチの政策だ。ムチ打たれて頑張る企業もあれば、傷つき倒れる企業もあるだろう。前者の数が後者を上回るといった明確な証拠はまだないようだ。

むしろ大事なのは、アメでもムチでもなく、会社の強みや弱みを会社自身がはっきりと自覚し、必要な決断を主体的、能動的に促す情報が手に入ることではないか。今のままでは会社はどうなるのか。また経営者も気づいていなかった会社の真の可能性がどこにあるのか。課題を一つひとつつぶし、会社の真の強みを伸ばすことの自覚と努力が、会社自身にうまれない限り、生産性の向上はないだろう。そんな会社には、資金だけでなく、必要な支援の輪もおのずと生まれてくる。

デジタル化もいわれるが、会社の状況や姿を明らかにする雇用政策にこそ、デジタル化の努力は向けられるべきだと思う。ハローワークなどでの仕事のマッチング対策の強化だけでなく、就業支援の相談充実など、雇用対策のデジタル対応は、今のタイミングを逃せば永遠に周回遅れの状況に陥るだろう。既に一部で着手は始まっているが、雇用政策のデジタル対応が遅れているという批判が高まる前に、いっそう本格化していくべきだ。

アナログの良さをつねづね感じる私ですらそう思う。アナログの成功は、ときにデジタル対応の妨げになる。 個別支援などでも、最初は対面(アナログ)で信頼を形成した上で、その後はオンライン(デジタル)なども活用して無理なく継続するような使い分けが重要になるのだ。経営者にせよ、支援者にせよ、アナログに馴れた人たちも必要に応じて変わっていかなければならない。

今回の感染症拡大に際しては、雇用を維持するために助成金はきわめて重要な役割を果たしたと感じている。一方で、過剰な状態で助成金を続けることは、いつしか会社経営に対して毒になることもある。何かを成し遂げようとすれば、最終的に必要なのは、おカネではなく、状況を打開するための情報や助言なのだと思う、というのが「助成金では生産性は向上しない」で言いたかったことになる。

(プロ野球の日本シリーズで、歴然とした差が付いてしまったのは、資金力だけの問題ではなく、情報を駆使した戦略や体制にあったという説には、深く納得したりした)。