宝来館の女将さんからの手紙

宝来館の女将さん、岩﨑昭子さんからお手紙が
届きました。ご寄付に協力いただいたみなさん
への伝言を頼まれましたので、お伝えします。
お手紙はリーフレットになっていて、釜石市の
鵜住居・栗橋・橋野地域を、これからみんなと
どうしていきたいかという計画が楽しく語られて
います。
ご挨拶のお手紙の部分を左クリックすると、
<宝来館女将の楽しい復興構想>が
次々と表れますので、ぜひご覧ください。
構想をさらにクリックすると
「どんぐりウミネコ村」が
出てきます。
いつの日か、遊びに来てください。

それではどうぞ。 女将さんの手紙です。

どんぐりウミネコ村 どんぐりウミネコ村

宝来館女将の楽しい復興構想 宝来館女将の楽しい復興構想

 

だからぁ・・・

 バスに乗っていたら、
 注意書きが目に入った。
 「ですから窓から顔や手を
  出さないように願います」
 とあった。「で・す・か・ら」
 なんて、なんだか高飛車な感じ
 がするなあ、と思った。ちょっと 
 イラっとしている様子もありあり。
 
 その上で「お願いします」でなく
 「願います」で閉められると、
 ちょっと慇懃な感じもして、どうも 
 あまり良い感じがしなかった。
 ただよく見ると、その2行の上に
 (尚、この文はたて書き)、赤字で
 危険
 と、ばっちり書いてあった。
 危険ですから・・・と読むのか。
 願いますも、うまく2行でおさめる
 小さな工夫ね。
 

タイム・スリップ

 何年ぶりになるだろう、
 本家に墓参り。たくさん
 ごちそうになる。
 ごちそうといえば、ひさびさ
 なのでご近所を歩いていたら
 おじさんからアイスをもらう。
 
 先祖の墓をみると、亡くなった
 時期が不詳に次いで古かったのは 
 寛延年間(1748年~1750年)だった。
 天保の時代(1830 年~1843年)にも
 たくさん亡くなっていた。
 飢饉の影響だったのかと、思う。
 子どもの頃は、ゆうに3時間くらいかかって
 いた道のりが、今回は2時間でいけてしまった。
 帰りに2歳ごろまで住んでいた町(粕淵)による。
 ところどころ面影はあるが、すっかり変わっていた。
 まったく変わってなかったのは、家の前からみえる
 山の姿だった。

lost in translation

 
  大雨で
  昨日は在来線(釜石線)が
  新幹線に接続できず。
  今日は、羽田空港で飛行機が
  到着せず、新しい出発時刻が
  まだ決まらない。
 投稿していた論文の結果が
 戻ってくるが、
 同意半分、不同意半分。
  笑うしかない。

わかりにくくてすみません。

 甲子園の応援だけれど
 柳沢慎吾がよくやっていた
 
 かっとばせー○○、
 ××、たおせーよっー
 ちゃんちゃちゃーん、
 ちゃちゃちゃ、
 ちゃーん
 
 ていうのを、あまり
 聞かなくなったような
 気がするのだけど。