開発

昨日、
TBSラジオの
久米宏さんの番組を
聴いていたら
昨年8月に放送された
尾身茂さんのインタビュー録音を
再放送していた。

そのなかで尾身さんは
感染症は
忘れた頃にまた必ずやってくるし、
かつこれからも減ることはない、
と既に断言されていた。

減らない理由としては、
人間が増えたこと、
人の移動が頻繁になったこと、
開発で野生動物と人間の距離が縮まったこと、
そして温暖化
を挙げていらした。

 

受容

〈待つ〉は、
人類の意識が成熟して
付加的に獲得した能力なのではない。
〈待つ〉ははじめから、
意識を可能にするもっとも基礎的な位相にあった。
〈待つ〉ことから未来は生まれ、
意識は始動したとすら言えるかもしれない。

たとえば、農耕文化の初期を想像してみる。
ひとびとは季節の反復をくりかえし経験しているうちに、
雨乞いをし、日照りを怖れ、収穫を待つようになった。

〈待つ〉はたしかに期待や予想と連動している。
ただ、期待や予想ほどに、現在につなぎとめられてはいない。
むしろ時のなかをたゆたい、なりゆきに身をまかせ、
ときに偶然に救われ、ときに偶然に裏切られ、
そのすべてを「さだめ」として甘受するという、
受動というよりは受容をこととしてきた。

〈待つ〉はそういう待機、
そういう受容としてあった。

――鷲田清一『〈待つ〉ということ』より

考察

感染症拡大が
仕事や生活に
もたらし始めた影響を
4月上旬時点で
考察したものです。
http://www.chuko.co.jp/chuokoron/newest_issue/index.html

雇い止めも懸念されるが
労働者自身が働きに出るのを
躊躇する「働き止め」が
今回の特徴でもあることや
2016年から取り組んできた
危機対応学から得られる示唆
たとえば
「ブリコラージュ」(やりくり・やりすごす)、
大きな決定は一週間以内でする、
緊急時に与えられた権限には事後評価が大切になる、
などを書いています。

その他、最後に述べた
「異常と変化への対応」
は今回に限らず
時代を超えたキーワード
だと思います。

稲妻

昨晩は
凄い雷と稲妻だったが
今朝起きてみると
いきなり
夏の空に
変わっていた。

雷音のなかで
テレビを観ていたら
元陸上ハードルの選手だった
為末大さんが出ていて
次のようなことを言っていた。

「勝っている選手が
早くこのまま試合が
終わってほしいと思うと
大概負ける。」

勝っていない選手が
こんな試合早く終わればいいのに
と思ったとき、待っているのは
なんだろう。虚しさだろうか。

反対に
こんな人生や生活でも
生きていれば
そのうちなにか
面白いことでも
あるかもしれないと
なんとなく思えれば
思いがけず
本当になにかある
かもしれない。

希望とは
たぶん
そんなもの
かもしれない。

 

希望

今となっては
遠い過去のようで
あるけれど、
3月27日に
感染症拡大が
雇用、特に若年雇用に
与える影響について
ヒアリングの依頼があって
官邸に話しに行ったときの記録。
https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/keizaieikyou/07/gijiyoushi.pdf

話の流れのなかで
突然思い立ち、
雇用の前に
希望の話をしている(13頁)。

それにしても、
くれぐれも総理が
「希望を皆さんに与えます」
といった表現はしない方が良い
といったことを
ご本人に向かってお話しするときが
来るとは思いもしなかった。

その後で
大事なことは、
国民一人ひとりが
希望をつくる力があり、
政治がそれを全力で支えることであり、
一人ひとりが希望を育んでいくのを応援すること、
というのは、
今もまったく変わらない。

調子

今のところ
特に予定もないのだが
今後オンラインでの
講演を頼まれたとき
どんな感じになるのだろうと
たまに想像する。

台本があってしゃべっている
わけでなく、
なんとなく会場の雰囲気で
ただ調子に乗って
しゃべっているだけなので、
どうすれば調子に乗れるかが
オンラインの場合、
正直よくわからない。

唯一なんとなく
共通するのではないかと想像するのは、
20年くらい前に
ラジオ講座の担当を
始めたときのことだ。

緊張したり、
うまくいかないことも
多かったのだけれど、
当時の担当ディレクターさんから
「誰か一人をイメージしながら話す」
ことの大切さなどを言われたのを
思い出す。

いずれにせよ、
講演そのものを
しばらくしていないので
そもそも最初から
うまくいくわけがないものだと
割り切るのが
なにより大事なのかもしれない。

給食

子どもの貧困
といった問題が
指摘されるようになって
久しい。

その点に今
もっとも関係しているのが
学校閉鎖によって
給食による栄養が摂れない
子どもが多数いることだろう。

子ども食堂の再開も見通しが
立たない。

授業の再開とは別にして
給食のみの部分的再開の方法は
ないものだろうか。

給食時間をずらす、
給食の席の間隔を空ける、
食事中の会話は控える、
換気に万全を期す、
給食を食べたらすぐに家に戻る、
友だちと一緒に登下校はしない、
通学のパトロールは保護者が行う、
など一定の条件がクリアされれば
実現可能にしてはどうか。

担任の教員も生徒の表情を
直にうかがえる
貴重な機会になるだろう。

給仕や調理などについても
近隣の飲食店の方に有償で
協力を仰ぐのもよいように思う。

既に検討している市町村なども
あるのかもしれないが、
気になったので書いてみた。

夏色

夏用の
マスクって
開発されたらいいな。

って
思ってたら
あるんですね。
失礼しました。

どうぞ
取りあいに
なりませんように。

空家

6月に刊行予定の編著
の最終チェックの最中。
http://www.utp.or.jp/book/b508909.html

釜石での震災や台風などの被害に
ついての考察のなかで
思いがけず空き家が活用された
事例に改めて印象付けられた。

避難所でインフルエンザに感染した
可能性のある人の緊急隔離に活用したり、
移動の困難な高齢者の一時避難に用いた例
などだ。

活用のポイントは、災害の前に空き家の所在が
明確に確認されていたことと、緊急時での活用
について、所有者と利用者の間で緩やかな合意が
事前に形成されていたことだろう。

感染症の収束にまだ時間を要するなか、
空き家の有効利用などの話はあまり聞こえてこない。
安全面での配慮も無論大きいが、あわせて
所在確認の困難と利用の事前合意が
なければ、急に活用するのは難しい。

空き家問題は、今後も続く重要な社会課題だが、
危機時の対応なども、今後考えていくべきなのかもしれない
と思った。

 

2030年3月の労働市場(4)

大量の一斉休業や
一部で雇い止めが
広がり始めると、
懸念されるのは、
仕事の「しわ寄せ」が
一部の人たちで強まるのではないか
ということだ。

そこで総務省統計局「労働力調査」から
3月の月末一週間の労働時間(結果原表)を見てみた。

就業者から休業者を除いた従業者の数は
前年同月に比べて18万人減少し、6451万人と
なっている。そのうち週35時間以上働いた人々は
104万人減少し、代わって週1~34時間の人々が
93万人増加している。

おそらくは緊急に短時間の就業に
切り替わった人も多かったのだろう。

では、そのぶん残った仕事が一部の人々に集中し、
結果的に長時間労働の人々も増えていたのだろうか。

調査によると週60時間以上働いていた人はちょうど
400万人であり、前年同月よりも96万人減った。
さらに長時間労働である週80時間以上は57万人と、
前年同月とほぼ同じ(1万人減)。
この結果からは今のところ、仕事のしわ寄せが
一部の人に集中している状況が広がっている
とまでは言えないようだ。

ただし2月に比べると3月は週60時間以上が52万人
増えてもいる(週80時間以上の12万人増加)。
年度末で業務が増えて勤務時間が長くなった影響も
あるかもしれないが、2019年の2月から3月にかけては
60時間以上働く人は増えていなかった。
緊急事態に備えて駆け込みで業務を行っていた可能性もある。

在宅勤務が労働時間に与える影響も含め、
労働時間の動向も注意してみていくべきだろう。

加えて数字に顕著に表れないことは、そのような状況が
まったく存在しないことを意味するわけではけっしてない。
現にこの緊急状況のなかで、なお多くの人々が残業を
行っている事実は重い。

2020年3月時点の週60時間以上働く従業者の主な内訳。
卸売・小売業59万人
製造業44万人
建設業42万人
道路・貨物運送業40万人
宿泊・飲食サービス業33万人
医療・福祉31万人
公務23万人