連合総研「経済情勢報告」

連合総研から
今年の「経済情勢報告」への
寄稿をご依頼いただく。
https://www.rengo-soken.or.jp/work/2020/09/090956.html

お題は、
「withコロナ時代に向けた現時点での問題意識や課題」
について、とのこと。

内容の前半は
今年4月から7月にかけての
雇用情勢についての概観。
後半は、それをふまえての
課題、特に労働組合の
取り組みを期待する課題を
自分なりに述べたもの。
https://www.rengo-soken.or.jp/work/98d4ed2e8071eadf347a80c02359b5c3312078d7.pdf

*

今日の一曲。
https://www.youtube.com/watch?v=LlSUpP1mlr0

 

 

 

代替

昨日の
日経新聞の記事のなかで
最後に
「働き方も、
労働で自らが提供していた価値のうち、
リモートで代替できない部分はどれか
を考えることが重要になる」
とあった。

すると
労働のうちリモートでは代替できない部分とは何か
という質問をいただいた。
ので、ちょっと考えてみた。

具体的にいえば
落語のうち、寄席で聴くのにはあるが、
ユーチューブやCDで聴くのにはない部分、
スポーツのうち、生の観戦にはあるが、
テレビやネットでの中継にはない部分、
などということだろうか。
そういうものは、きっとあるんだと思う。

こういうと、仕事でもそれは
芸ごとに限られるようにも思われるかもしれない。
それ以外では
食堂やレストランで食べるのにはあるが、
出前の宅配などにはない部分、
産地の食材のうち、地元で食べると感じられるが、
家で持って帰って食べてもちっとも感じられない部分、
とかになるのだろうか。
この例だと、そんなものないよ、思い込みだよ、
何よりコスパだよ、などとと言われそうで、
どうにも分が悪い気もしてくる。

医療、福祉、教育、娯楽などでも
本来リモートでいける部分は
もっとあるはず、
それが今回はからずも
明らかになったと
いった声もあるのかもしれない。

それでもあえて
広く仕事全般で考えてみると、
リモートで代替できない労働とは
なんらかの相手がいて、その人と
「場所と瞬間の両方を直接共有すること」
が必要だったり、そうでない場合よりも
価値があるものをいうのではないか。

たとえば、特定の相手に伝えたい
「とっておきの話」があるとき、
それはズーム、電話、メールなどで伝えられなくもないが、
それでも直に伝えたいし、聞きたいということもあるだろう。
それは記録に残せないとか、セキュリティの関係もあって
ということもあるだろうが、それよりもやはり
直に伝えることで、よろこんでもらったりする姿を
この目で見たい(確信)というのが、一番大きいように思う。

お金をもらえるのもうれしいが
一番よろこんでほしいと思っていた相手から
直接「ありがとう」といわれるのが
なんだかんだいって仕事の醍醐味というのは、
ありきたりと言われるかもしれないが、
それでも多くの人の労働にとって
最良の価値であるというのは、
今でも一つの真実なのだと思う。

ただそういうと、
「自分にはそんな特別のことや話など何もないよ」
と言われるのもオチだろう。
たしかにそんな特別な情報や経験を
誰もが持つのは、むずかしいのかもしれない。

けれど、
誰にでも起こり得ることで、
リモートで代替できないというか、
できることなら
リモートで代替しないほうがいい
と思われることが確実にもう一つある。
それは「ごめんなさい」の言葉と姿勢(許し)だ。

失敗したり、相手に迷惑をかけて
しまったら、できるだけすみやかに、
できることなら直接足を運んで、
(なにかのかたちで擬似的にでも近づいて)
心の底から謝るに限る。最初の一報は
メールや電話で伝えるとしても、
できることなら直接ごめんなさいを
いったほうがいい。それは、
どれだけリモートワークが支配的になっても
かわらない、労働の普遍な部分ではないか。

もしそうであるならば、労働のうち、
リモートで代替してはならない部分には
「まちがいをしたら率直に認めて心から謝る」
ことができるという
「お詫び力」とでもいうものが、
どんな時代や状況でも仕事で日々起こり得ること、
仕事で大事なものの一つとして、
少なからず含まれると思う。

もう一つリモートで代替できないことで
思いついたのは、緊急事態が起こったときの
対応(初動)の大切さだ。

平時ではオンラインで済ますことができたり、
今回のような状況でも、緊急事態に入った後は、
在宅勤務やテレワークでやれることも多いが、
問題は、そこに至るまでの
危機の真っ最中の過程での対応は、
どうにもリモートだけでは
多くの場合、限界があるように思う。

危機のその場にいる当事者同士が
なんとか集まってお互いに持つ限られた
情報を持ち寄り共有しようとする。
相手の様子や話しぶりを直に見聞きしながら、
お互いに覚悟を定めていったり、
反対にこの相手は信頼できないと
見切りを付けたりすることもある。

危機では「現場が大事」「答えは現場にある」
などといわれる所以(ゆえん)もそこにあるのだろう。
それをリモートで現場以外が状況を
わきまえず勝手なことを言いだすと
大抵ロクなことにならない。
危機時の現場対応力というのも、
リモートでは代替できない仕事の大事な部分の
一つだろう。

特段のことがなければ
リモートは気持ちも体も
本当にラクでこの上ないが
かといって、
いつもそうとばかりと
いってられないのが、
労働だとか、仕事ということ
なのだろう。

確信や許しを得ようとするとき、
ピンチに対ち向かおうとするとき、
「ありがとう」
「ごめんなさい」
「そうしますか」
は、距離が近ければ近いほうがいい。

他にもいろいろあるように思うが、
今日考えたのは、ここまでということで。

 

今朝の日経新聞

日本経済新聞朝刊5面
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO63328310S0A900C2EA8000?s=6

ポイントは
オンラインが当たり前になれば
かえって
わざわざ
会いに行かずにいられない
足を運ばないわけにはいかない
ことの価値が
さらに高まる
のではないか
ということ。

このことは
「わざわざ価値」
もしくはオンラインでは得られない
心のザワザワの価値として
「ザワザワ価値」
と呼ばれている。

いや、呼ばれていない。自分で勝手に
言ってるだけ。
さすがにそこまで取材では答えていない。

こちらは
そういえば
オンラインでの取材だった。

このポイントは
オンラインの取材でも
対面の取材でも
きっと同じようなことを
今も言うのだろうと思う。

取材

これまで
取材などを受ける際は
対面を原則としてきた。
つまりは
電話取材やメールでの取材は
基本的にお断りしてきた。

理由は正直
なんだったか忘れてしまったが
電話取材は一体いつまで取材が
続くんだろうと思ったことが
あったのがそうだったかもしれない。

メール取材は
直接訊くより聞きやすいのか
質問が漠然として
いることも案外多くて、
「そんなの答えられないよ」
と思ったことがあったような気がする。

わざわざ会いに来て取材をされる
というのは、それなりに気合のいる
ことだろうし、なんとなく相手の
思いに引きずられて、こちらも
考えていたことが整理できたり、
自分自身おもいがけない発見も
あったりしたような、そうでもないような。

ただ電話やメールではそんな思いは
まずなかった(と思う)。

そうなると、これからの
問題はオンラインでの取材
をどうすればいいんだろう
ということになる。
これは聞かれる方だけでなく、
聞く方にとっても課題だろう。

今日「はじめての取材なので
オンラインは失礼かもしれないですが」
と言われ、へーそんなものか
と思った。

私は直接会いに来る人しか
取材には協力しませんというのは、
いかにも横柄な気がするし、
かといって
オンラインはOKとなると、
だったらなんで電話やメールはダメなの?
と自分でも思ってしまう。

書いていて今思ったのだが、
直接対面で取材をされるとき、
大学ノートのようなものに
びっしりと手書きでメモを書かれている姿を
取材を受けながら見ているのが
案外好きなのかもしれない。

ときどき
「なんかすごいな」
「かっこいいな」
と思ったりする。

ということは
オンラインで取材される場合でも
画面の向こうでメモとか
一生懸命取っている姿が
垣間見えると
俄然張り切ることもある
のかもしれない。

そうでないとき
「録音してますから」
「後から聞き直します」
とか言われたら
どうなんだろう。

対面でしゃべるのと
オンラインでしゃべるのと
少ししゃべり方が違っている
自覚はある。

聞かれ方次第だとも思うが
もしかしたら
内容も違っているのかもしれない。

復旧

今日は一日
大学の研究室で仕事。

行き帰りに
多摩川を電車で渡るのだが
真下のグラウンドで朝、
大学生がホッケーの練習を
していた。

去年10月の台風19号では
多摩川も氾濫し、
ホッケーや野球のグラウンドも
完全に破壊されたり、
えぐられたりして
到底使いものにならない状態が
しばらく続いていた。

それがもうすぐ一年という今、
すっかり復旧し、何ごとも
なかったかのように錯覚させる。

今回も国による
新型コロナウィルスの
感染症分類での位置づけが
変更されると、対応の仕組みも
一気に代わり、ひいては
日常生活も大きく変わるような気がする。

今年の感染から一年後の来年今頃、
いいとか悪いとかではなく、
日常生活のうち、
何が今のまま残り、
何がすっかり
以前に戻っているのだろう?

マスク?
手洗い?
間隔を空けた行列?
オンラインでの仕事や授業?
宴会自粛?
それとも…

*

今日の一曲。
https://www.youtube.com/watch?v=aGCdLKXNF3w