今日は年に一回の
産業医の先生による
職場巡回の日。
随行させていただく。
所内のあらゆる箇所を
確認することになる。
初めて見る場所もあれば
何十年ぶりに見る場所も。
いろいろな発見があった。
否定
100人から意見をもらい、
もし99人から肯定的な評価を
いただけたとすれば、
それはこの上なく
うれしいことだ。
しかしながら、
残りのたった1人の意見が
理不尽で強く否定的なものであったとき、
むしろそちらのほうが心に残ってしまう
のは、なぜだろう。
おそらくそんな研究も
あるのではないかと思うが、
それはなにがしかの生存本能のような
ものとかかわりがあるのではないか。
ひとりであれ、
相手を傷づけることが目的の
致命的な効果を狙っている
攻撃的な行為に対しては、おおげさではなく
命の危険を感じ、心も身構えることになる。
それが、少なくとも危険が去るまでは、
気になって残る、ということなのではないか。
否定に対しては
気にするな、
というアドバイスもある。
反対に、
気にしていいんだよ、だって生存本能なんだから
と言われたほうが、
かえって程よく緊張できてラクだということも
あるのではないか。
合理
子どもの頃、
野球のバッティングでは
「アッパースイングはいけません」
と言われてきた。
打撃の神様、川上哲治は
「ダウンスイングをしましょう」
と繰り返し言ってきた。
それが今は、
大谷翔平である。
典型的なアッパースイングで
現在のところ
ホームランを驚異的に量産している。
かつて
ピッチングで
直球(ストレート)が主流だった時代には
アッパースイングは空振りの確率が高かった。
直球には水平なスイング、
バッターの意識としてはダウンスイングで
ボールに向き合うのが
たしかにもっとも合理的だった。
今はメジャーリーグも日本のプロ野球も
ツーシームにしろ、スライダーにしろ、カットボールにしろ、
要は、落ちるボールが主流の時代になっている。
だとすれば、落ちるボールに対して
もっとも高い確率で芯に当てられるのは、
アッパースイングということになる。
合理性も時代によって変わるのだ。
勉強
よく知らなかったことを
おしえてもらったり、
知ることになったとき、
「たいへん勉強になりました」
のひとことで
締めくくられることも
多いように思う。
そんなとき、
本当に勉強したの?
などと思ったりもした。
現在、
知らなかったことを
おしえてもらったり、
知ることになるのは
とても多い。
そんなときの感覚は
「とても勉強になりました」
ではない。
正確にいえば
「とても不安になりました」
だ。
なぜかといえば、
本当に考えていなかったことや
知りもしなかったことに対しては
勉強などしようもなく、
ただただ知らなかったことに
いったいそれはなんなのだろう、
こんなことで大丈夫だろうか、
と思うだけだからだ。
でも、そんな不安がなければ、
もっとしんどかったり、
ときにはおそろしいことすら
待っていたかもしれない。
以前は「不安」はどちらかというと
ネガティブなものだった。
最近は不安になるのは、
もしかしたらいいんじゃないか、
ありがたいんじゃないか、
などとちょっと思ったりもする。
まあ、それも多少
余裕があれば、だけどね。
電車
永さんの
「見上げてごらん夜の星を」
がラジオで流れている。
帰りの電車で
周りをみると
ケータイを見つめる人
本を読んでいる人
隣と話をしている人
寝ている人
だけで
何もしていない人
がいなかった。
それだけ。