今日は
カーリングを
テレビで堪能。
それにしても
カーリングと卓球は
スポーツ中継のなかでも
解説が卓越していると
思う。
一方で
頻繁に買いつけの
酒屋さんの名前が
どうしても思い出せず
ちょっと落ち込む。
今日は
カーリングを
テレビで堪能。
それにしても
カーリングと卓球は
スポーツ中継のなかでも
解説が卓越していると
思う。
一方で
頻繁に買いつけの
酒屋さんの名前が
どうしても思い出せず
ちょっと落ち込む。
本日はご参加、
誠にありがとうございました。
今朝、
収集車が
プラスチックごみを
吸い込むのを
保育園児とおぼしき
子どもが
ずーっと見つめていた。
〇
今日、明日と
こんなんやっています。
https://web.iss.u-tokyo.ac.jp/crisis/
どなたでもお気軽にどうぞ。
今日の参加者からは
テレビを観てるような気楽さだったとのこと。
今週はなぜか
メールで数年ぶりに
やり取りするといった
方々が、何人かあった。
〇
そんな知り合いのなかで
言及いただいた
内容をあらためてご紹介。
その人は
キャリアとは渡世のことだ
と、かつて言いました。
〇
「川﨑友嗣さんの思い出」
日本のキャリア研究の発展に多大なる功績をあげられてきた川﨑友嗣さんが、2020年6月18日に逝去された。59歳の若さだった。
川﨑さんの研究は、学生・生徒などへのキャリア教育の効果と実践に関する先駆的な研究をはじめ、若年フリーターから高齢者のキャリア形成に至るまで多岐にわたっており、それらはいずれも深い洞察に基づくものだった。考察のさらなる深化や新たなテーマの発掘など、ご本人もまだまだやりたい研究が、山ほどあったと思う。その悔しさは、いかばかりだろう。
キャリアについての代表的な研究者であると同時に、川﨑さんは、日本キャリアデザイン学会にとって、欠かすことのできない貴重な人材だった。2019年度から学会の副会長を務められていたのをはじめ、常務理事、理事などの要職、関西支部の役員としての運営、学会10周年記念事業の実施、2018年の関西大学での第15回研究大会・総会の実現など、その貢献は絶大なるものであった。川﨑さんがいなければ、日本キャリアデザイン学会の今日までの発展は、到底おぼつかないものであったろう。川﨑友嗣さんは、まちがいなく学会最大の功労者の一人である。
あわせて川﨑さんは、日本キャリアデザイン学会のみならず、キャリアコンサルティング協会、日本キャリア教育学会など、キャリアにまつわる様々な組織に深くかかわり、それぞれにひとかたならぬ貢献をされてきたと聞いている。これから川﨑さんをキーパーソンに、キャリアの重要性を認める多種多様な人々がヨコの連携を広げ、日本社会にキャリアという考え方がさらに浸透し、人々の人生の充実に一定の役割を果たすことも期待されていた。ご本人もその思いをお持ちであっただろうと考えると、かえすがえす残念でならない。
川﨑さんのご功績とご意思を引き継ぎながら、キャリアデザインの研究と実践について、私たち一人ひとりが、今なにができるかをあらためて考えなければならない。それが川﨑さんへのご恩に報いる最良の方策だと思う。
その上で、キャリアデザイン学会についての、川﨑さんとのやや個人的な思い出を記してみたい。
学会とかかわりを持つようになって数年が経ち、副会長の仕事を仰せつかっていた頃だったと思う。会員数も増え、研究活動も順調に進んでいると考えられた矢先、学会の将来にとって気になる事態が起こりそうだという懸念が、とあるところからもたらされたことがあった。それは、学会が着実に発展し、それなりの存在になったからこそ起こり得る、むずかしい問題だった。
私自身、学会の関係者の一人として、なにをすべきかを模索しながら、その時点時点で、できることをやっていた(やろうとしていた)記憶がある。多くの人にメールなどで相談したり、協力などを仰いだりもした。
ただ、むずかしい判断や選択を行おうとすれば、それにかかわることには、誰であっても慎重になるものだ。かかわりを持ってしまうことで巻き添えになり、しなくてもよかった苦労をしなければならない場合もある。相談や協力のメールに返答がなかったとしても、けっしてそれらは不義理な対応ではなく、事情もわかるような気がした。
そんなとき、いつも親身になってすみやかに返事を送ってくれたのが、川﨑さんだった。相談への的確な返答もありがたかったが、なによりいつもすぐに反応をしてくれたことが、うれしく心強かったのをおぼえている。川﨑さんは、困っている人々や、孤独に陥りそうな人々を、絶対にほっておかない人であり、ほっておけない人だった。
キャリア形成の支援では「寄り添う」という表現を目や耳にする事例も多い。しかし、その実践はけっして容易なことばかりではない。対する人の内実を理解しようとし、その上で適度な距離を保ち、かつ腰を据えて取り組む覚悟と忍耐も求められる。川﨑さんは、研究にも裏打ちされた寄り添い方を日ごろから実践されていたと思う。その姿勢の真髄についてじっくり話を聞いてみたかった。
残念ながら、川﨑さんの話を直に聞いたり、新しく書かれたものを読むのは、今はもうできない。しかし、これまでに書かれた論文や著書、さらには編集にたずさわれた書物などの作品を通じ、これからも私たちは川﨑さんの思いや知見に触れ続けることはできる。
そんな作品の一つに、学会10周年記念の重要事業として、川﨑さんが編集委員長として完成させた『キャリアデザイン支援ハンドブック』(日本キャリアデザイン学会監修、ナカニシヤ出版、2014年)がある。それまではキャリアデザインを標榜しながらも、「キャリア」とは何かについて、学会としての見解共有は行われてこなかった。それを「個人がその人生を通じてもつ一連の経験」「職業生涯上の仕事経験の連鎖」「生涯を通して他者および社会と関係する中で得られる諸経験の価値づけ、意味づけで構築される個々人それぞれ独自の生き方の構築の過程」などとして基準を示せたのも、委員長である川﨑さんの尽力の賜物である。
かつて内村鑑三は、後世へわれわれが遺して逝くべきものとして、金、事業、思想を挙げた。その上で、それらにまさる最大の遺物であり、誰にも遺すことができ、利益ばかりであって害のないものとして「勇ましい高尚なる生涯」を語った。そして勇ましい高尚なる生涯とは「失望の世の中にあらずして、希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして、歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということ」であると述べた。
川﨑さんが遺した数々の作品と、生きてこられた姿勢の記憶から、どんなに苦しいときでも周囲への思いやりと希望を持ち続けた、彼の果敢で高貴な人柄と人生に思いを馳せつつ、心からのご冥福をお祈りしたい。
参照文献:内村鑑三(1946)『後世への最大遺物 デンマルク国の話』岩波文庫
―キャリアデザイン学会ニュースレター2020年7月号より
報道では、会社が解雇をしたり、期間満了で雇用契約したりして、雇用を減らそうとする「雇い止め」という言葉が頻繁に使われている。同時に一方で、感染のリスクなどをおそれた労働者自身が働くことを断念し、統計用語でいうところの「非労働力人口」(15歳以上人口のうち、就業者と完全失業者以外の人々)の増えたことこそが、むしろ今回の感染拡大の特徴と、ここでも再三述べてきた。
その状況は、企業による「雇い止め」というよりは、労働者本人による「働き止め」のほうがより正確と思われる。ただし働き止めという視点は、今もまったく共有されていない。
ちなみに2015年4月から2020年3月までの非労働力人口(季節調整値)の推移に基づき、働き止めを試算すると、その数は緊急事態宣言が出た20年4月には129万人に達した。その後、働き止めの数は徐々に減少してきたが、最新の20年12月でも59万人が依然となり、4月時点の46%が残っている計算になる。
気になるのは、高齢者の働き止めが、12月の感染の大幅かつ急速な拡大に沿うかたちで、増えていることだ。65歳以上の非労働力人口は、2702万人(原数値)と、20年4月以来の2700万人台となった。年金などの不足を、賃金収入を補っていたのが、感染のおそれから仕事を断念せざるを得ないとすると、生活が立ち行かなくなる高齢者も増えてくる。
もう少し「働き止め」をせざるを得ない人々にも目を向けてもいいと思うのだが、どうなのだろうか。