とにかく理由は3つある

「理由は?」
 学校時代もそうだけれど、仕事をはじめると、
いつもこう聞かれ続ける。何か提案したり、説明したり、
売り込みをしようとすると、とにかく理由を求められる。
そしてそこには密かな決まりごとがある。とにかく理由は、
なぜか3つないといけないのだ。
 理由が2つでは物足りない。4つではちょっと多すぎる。
そう、なぜかわからないけれど、理由が3つあると、
なんとなく落ち着くのだ。正直いえば、みんなつねに理由が
しっかり3つあるわけじゃない。本当は1つか、せいぜい2つ
しかなくても、なんとか3つ作り出す。2つめの理由を話しながら、
その最中に3つめの理由を考えているなんて、案外、よくあることなのだ。
けれども、どうして3つ、なんだろう?
 最近、「ワーク・ライフ・バランス」なんてことが言われたりする。
仕事と家庭の両立、もしくは仕事と個人生活の両立のことを、
それは意味している。仕事だけに重視されて、家庭や個人の生活が
蔑ろになっている多くの現実を変えていこうというメッセージが
そこに込められている。
 仕事と生活の両方を充実させられれば、とてもいいとは
思うのだけど、結構それはむずかしいことだろうと、私は思っている。
2つのことを天秤にかけて、バランスをとるのは簡単ではない。
ましてや、そのバランスを何年にもわたってとり続けなければ
ならないのだ。易々とできるわけがない。
 ところが案外不思議なことに、2つをバランスさせようと
するのでなく、もう一つ増やして、3つにするとバランスが
ラクになるのだ。三角形のうち、どこか一角が崩れそうになっても、
残りの2つが支えてくれるのだ。2つだけだと、天秤の一方が崩れると、
もう一方も崩れてしまう。
 仕事、個人としての生活、では残った3つ目とは何なのだろう。
もう一つの仕事や個人生活と同じくらい大事な何か。それは、
私は「遊び」だと思う。しかも、本気の遊びだ。趣味だとちょっと弱い。
 仕事をできる人を評価する言葉に「のりしろが残されている人」
というのがある。つねに「いっぱい、いっぱい」の人には、柔軟性が
欠けるためにタイミングのよい対応ができなかったりする。しっかり
遊びの部分が残されている人には、どこか余裕がある。
 本気の遊びとは?自分自身の、会社や家庭とも異なる、
もう一つの大事な居場所となってくれる遊びとは?
いい仕事をするためには、自分にとっての本当の遊びは
何かを決めて、そしてちゃんと遊ばないと。