中日新聞

 ちょっと前、ある勉強会に参加したときのことだ。引きこもりやニートなど、社会と交わることに難しさを感じ、結果的に働けなくなっている若者たちの支援について考える会だった。
 いろいろ考えるためには、まずは当事者の声に耳を澄ますべきということになった。そこで、元ひきこもりの青年で自身の経験を本に書いたこともあるU君を招いて話を聞くことになった。そのときに、私も司会というか、討論者というか、とにかくU君との話の輪に加わった。
 U君は、ひきこもりを脱してわかった当時の自分の姿、そして今でも不安に思うことなど、自分の経験を率直に話してくれた。特に印象的だったのは、ひきこもっていた当時、自分は働くことの意味、そして生きることの意味を毎日のように考え続けていたということだった。その意味に見出せずに立ち止まっていたというのだ。
 私は、U君にとても良い印象を持った。彼の話に奇をてらうところや誇張など一切ないように感じた。一緒にお酒を飲んでみたいと思った。ただ、話を聞いていて、私自身、ちょっと苦しさも同時に感じた。
 私たちは小さい頃から、意味を考えるのは大切だと、先生や親から言われ続けてきた。意味を理解してこそ、間違いのない行動が取れるのだと教わってきた。だが、どうだろう。実際に、働いている人たちは、毎日意味なんて考えて働いているだろうか。
 少なくとも私は考えていない。働く意味を毎日考えろといわれたら、苦しくて私も働けなくなるだろう。仕事には、失敗もあれば、理不尽なこともたくさんある。その意味なんて考え過ぎれば、もうやりたくなるだろう。そんなイヤなことを忘れるために酒を飲む。それに齢をとると神様は、私たちに忘れる才能が成長する機会をちゃんと与えてくれる。
 私はU君に「意味なんてそんなに考えなくていいよ。もう少しいいかげんでいいよ」と言った。あんまり真面目に考えすぎると、働けなくなるよ。意味なんて年末に「ああ、今年、自分はどんな仕事をしてきたのかなあ。やっぱりたいしたことしなかったなあ。いったい、自分は何のために働いているんだ?」と、ちょっと考えるくらいで十分なんだと。
 すると彼はこう言った。「意味なんて考えなくていいって言いますけど、本当に働くのには、いいかげんさが必要なんだっていうことが、きちんと統計的に証明されているんですか?」彼こそ学者に向いていると思った。それから、「いいかげん」であることの大切さを科学的に証明することが、私の重要な研究テーマになっている。
 証明出来てはいないが、仕事をするのには「ちゃんといいかげん」であることは、とても大切なことを、大人は経験的に知っている。ウソだと思うなら、良い仕事をしていそうな大人、プライドをもって働いていそうな大人に聞いてみるといい。みんな「いいかげんであることは大事だ」というはずだ。
 病気になるまで働くことはない。自分なんかいなくたって、ちゃんと会社や職場は機能するのだ。仕事でナンバーワンなんか目指すこともない。そうなったら妬みや恨みをかってしんどいだけだ。特別なオンリーワンにも、ならなくていい。他人と違う個性なんて目指したり考えたりしなくても、最初から誰だってちゃんとある。
 考えすぎることはない。ある程度、基本さえ出来ていれば、仕事なんて何とかなる。基本とは、遅刻は出来るだけしないとか、ミスをすればちゃんとあやまるとか、よくしてもらえばお礼をいうとか、そんなことだ。意味もそうだし、流行の仕事力とか、専門性とか、対人能力なんて、本当は大したことではない。
 正社員であっても、フリーターであっても、背伸びしすぎることなく、自分の出来ることを誠実にやればいい。そうすれば本当に苦しいときに、きっと誰かが助けてくれる。そう楽観的に信じることだ。働くっていうのは、所詮、そんないいかげんなものなのだ。
(「中日新聞」2005年12月26日夕刊)