「働く意味って何ですか」。
その質問を受けるたびに、いつも
ムニャムニャとお茶を濁してきた気が
する。「わかりません」とか「いろいろ
あるんじゃないの」とか。
個人的には
「はい、ひと仕事終えた後に、仲間と
打ち上げをするのが、ボクの働く意味
です」と、威勢よく答えるたびに、
「まじめに聞くんじゃなかった」
という顔が返ってきた。まじめに答えて
いたんだけれど。
ただ、これだっていうスッキリな答えなど
できない、しないほうがいいんじゃないかと
なんとなく、考えていたのだ。
それが4年間、希望学を続けてきた今、
やっぱりそれでよかったんじゃないかと
思っている。今、改めて、働く意味を
たずねられれば、こんな風に答えそうな
自分がいる。
「働く意味は、いろいろあるだろうけど
一つに決めつけないことが大事だと
思うんです。いくつかの、どっちつかずの
意味のあいだで、変化を求めて揺れ動き
つつあることにこそ、意味といえば、
意味があるんじゃないか」。
今週発売の『希望を語る』に寄稿いただいた
水町勇一郎氏の「労働信仰の魔法とそれを
解く法-希望の意義と危険性」に触れて
ますますその意を強くしている。