大胆な意見や提案には、ときとして現実、さらに重要な
こととして歴史的経緯を踏まえていないということで
実現性に疑問が残る場合がある。
ただし一方で、現実を熟知した上でなされる手堅い
見解は、間違いこそないものの、現に存在する問題点
や課題を克服するエネルギーに欠け、必要以上に
現実追認的になってしまうときがある。
だとすれば、その両者の特質をできるだけ踏まえようと
した上で、そのあるべき落としどころを探ることこそ
重要なのだろう。そのためにも、両見解のあいだの
対話こそが何より求められることになる。ただし、
それを地道に続けていくことは、実にしんどいこと
でもある。
○
以前、緊急対策として、都市部の主立った駅すべてに
転落防止策を設置することが一案ではないかと書いた。
http://www.genda-radio.com/2009/02/post_441.html
正確な統計は公開されていないが、春先などの明るさを増す季節
には人身事故などの不幸も増える。ちょうど自殺が夜明け前に多い
とされるのと、よく似ている。
ちょっと古くなるが、平成20年度の補正予算では「安全・安心な交通
空間確保対策費・交通ネットワーク整備対策費」として794億円が
計上されている。具体策として駅のバリアフリー化などが当時報道
されていたが、同時に転落による不幸な事故を少しでも減らすための
対策としても活用してほしいと願いたくなる。
ちょうど十年ほど前の不況期に、多くの駅で急速にエレベータや
エスカレータが国などの補助によって設置された。当初それは
高齢者や障害者のためのものとして意識されたが、実際には
仕事につかれた多くの人にとっても便益となっている。
私自身、電車が人身事故でストップして、仕事に遅れそうだと
苛立ったことも少なからずある。だが、人身事故で交通がストップ
することが、「またか」と怒りを込めて不満に思うことこそ、実は
異常なことなのではないかと思う感覚が、本当は必要なのだろう。
死への畏れが失われることは、とてもおそろしいことだと思う。
高校のときに、世界史の先生から「毎日、自分はいつか死ぬんだ
と思って生きよ」といわれたことを、ふと思い出す。その意味を
今、改めて考える。