偏見

今日は朝から
友人の力も借りて
今回医療従事者とその関係者等が
いわれなき偏見や差別を
受けていることがあるとすれば
その理由は何かを
考えている。

今のところ、
さしあたり理由は
3つくらい考えられるのではないか。

1.生存本能にもとづいた「見える恐怖」に対する発散
2.公的役割・存在への低い信頼から来る不満のはけ口
3.医療およびその関係者への過剰な期待に対する反動

このうち1は、今回恐怖がどこに潜んでいるか、
わからないため、日々不安を感じている人が、
目に見える恐怖の周辺にある人々(医療関係者とその家族)
を「発見」すると、それらに対して差別・偏見によって距離を
置こうとすることでつかのまの安心を得ようとする
生存本能に基づくものだ。退院された元患者や
輸送などに関わる仕事に従事する方への
心ない言動などもこれによるところが大きいように思う。

2については、日本は各種の世論調査などでは、政治、政府、
そして政治家などへの信頼が低いグループに属するといわれる。
おそらくそこには行政、官僚、公務員なども含まれる。そして
公的な役割を担う存在全般への不信感が渦巻くなか、
医療関係者もまた、民官問わず、多くが公的な仕事の従事者だと
認識されているとすれば、今回ますます信頼が低下したといわれる
政治などの公的な危機対応全般への不満の直接のはけ口(代理者)
として真っ先に厳しい状況にさらされているのかもしれない。
そこでは、政府の定めた検査体制への不満なども加わり、
結果的に憤りの矛先が医療関係者に向かっているとも考えられる。

一方で、社会学の調査などからは、
医師も看護師も、職業のなかでは高い評価を得ている
仕事の一つであるのは事実だ。3は、むしろ高い評価や期待を
通常得ていることの裏返しや反動として、知識、経験、技量などを
豊富に持っているはずの医療の専門家がいる病院などで
一部がクラスターになったことへの非難となっているのかもしれない。
ただ過剰といえるほど期待されている分だけ
批判もされるというのは
ときに理不尽以外の何ものでもないだろう。

もしこれらの仮説がある程度的を得ているとすれば
解決には、不要な緊迫を適度に和らげつつ
過度に恐怖心を持たないですむ環境をつくること、
公的な取り組みについての情報共有と事後評価を
重ねつつ時間をかけて信頼を得ていくこと、
そして困難の原因を知ろうとすることで
過剰でも過小でもない期待の持ち方を身につけること
くらいだろうか。