規模

学部生だった1980年代や 大学院生だった1990年代では 格差、特に賃金格差の問題といえば もっぱら男女間格差と 企業規模間格差、 すなわち大企業と中小企業の間での 労働者の処遇に関する格差が 労働経済学の主要なテーマだったと思う。 それが2000年代になると 男女間格差の問題は どちらかというと 正規・非正規雇用間の格差問題へと 方向性が収斂していく。 さらには教育や訓練の有無がもたらす 賃金上昇の効果の精緻な検証や 非認知能力 (non-cognitive skill)による 影響の把握などに 若い労働経済学者の関心は向か っていった。 そのなかで規模間格差への関心は次第に 薄れていくことになった。 (賃金格差研究の推移については 以下にエッセイを書いた。) https://www.jil.go.jp/institute/zassi/backnumber/2020/04/index.html

しかし今回の感染拡大の事態を経て、 規模間格差は、無視できない重要な問題として ふたたび浮上してくるかもしれない。 リクルートワークス研究所が実施した緊急調査などでも テレワークが主に大企業で推進されてきたことは 紛れもない事実だ。そのせいもあってか、 緊急事態宣言の期間中ですら、 労働生産性が上昇したと回答する雇用者の割合は 大企業のほうが高くなっている。 調査では期間中、労働生産性が「とても上昇した」「上昇した」 という割合が、 300人未満の企業では8.3%だったのに対し、 5000人以上の大企業では14.4%と開きがみられた。 https://www.works-i.com/research/works-report/2020/jpsed2020_rinjidata.html

宣言解除後の勤務先の方針でも、 テレワークや時差通勤の推奨や、ウェブ会議の継続、 決済手続きのデジタル化や資料・データのネット上の共有化 などは、いずれも大企業のほうで圧倒的に見込まれている。 ひいては、これまでの報酬、雇用の安定、訓練機会などの 格差に加え、働く自由度や仕事の効率化などを含む 包括的な処遇格差が、規模間でいっそう拡大することも予想される。

さらには社会全体で働く自由度や効率を上げようとすれば、 その推進役として大企業の環境改善による規模間格差の拡大を、一定期間にわたり、 あえて受容していく事態も認めざるを得なくなるかもしれない。 規模間格差の解消には、中小企業の処遇の底上げが 何より求められるが、そのために生産性の低い企業の 淘汰を進めるというのは、社会的合意を経た上での 十分なセーフティネットの整備が構築されていない限り、 大きな混乱を招くことにもなりかねない。

大企業のなかでは、鉄道や航空などの輸送を担う企業など 現在大幅な赤字と大規模な雇用調整に困難を極めているが、 今回は金融システムそのものがまださほど痛んでいないこともあり、 緊急融資による資金調達を経て、いずれ通常に復帰することが期待される。 大企業の賃金が高いのは、大企業ほど優秀な人材が集まりやすいから といった安易な解釈がなされることは案外、研究者の中でも多い。だがそうではなくここでも、不公正な格差の存在を発見し、 解消につながるようなシステムの構築に注力されるべきだろう。