不安をリスクに。

 私は科学が万能だとは
 思わないが、
 それでも
 科学の力を
 信じている。
 不安をリスクに変えるために
 必要なのは、
 情報と経験、そして科学
 であるように思う。

春はもうすぐ

 今日になって、やっと声が
 出るようになってきた。
 
 歩いていたら、横浜は
 桜が芽吹き始めたことを知る。
 今年の東北の桜はいつごろ
 咲くのだろうか。

希望

 被災された方々が
 将来に希望を持てるためには
 どんなことが心積もりが
 必要なのだろうか。
 希望学をふまえれば
 さしあたり
 次のようなことが
 重要に思われる。
 まず、
 毎日の生活のなかで
 実現(come true)できそうな
 こと(something)、やれること を
 自分なりに決めることだろう。
 そして、それを叶えるために
 あせらず、ある意味、
 淡々かつ飄々として
 行動(action)していくことだろう。
 
 その上で、その繰り返しの先、
 そう遠くない将来に、
 いつかまた落ち着いた生活を
 取り戻せるのだと信じる
 気持ち(wish)を
 強く持つことだろう。
 

支援に必要なこと

 いろいろな支援が広がりつつある。
 支援するときに大事なことがある。
 それは、まちがっても
 「自分はいいことをしている」
 などと軽々に思わないことだ。
 

 「報われる」について

 前回書いた内容に対して
 信頼する友人から
 違和感があるというメールを
 もらった。犠牲者が報われる
 ことは永遠にない、というのが
 彼の意見だ。それはこうだ。
 
 〇
 いうまでもないですけど、地震や津波で死んだ人たちは、
日本の財政危機を救うために、死んだわけではないです。
大災害による、無情な、無意味な死です。だからこそ、
これほどの悲劇なのです。生き残った者が、死者に後から
「意味」をはりつけることに、強い抵抗を感じます。
 財政危機から日本が脱しえたとして、犠牲者は「報われる」
のでしょうか。どんなことがあっても、犠牲者は永遠に報われなどしない。
そのことに、生き残った者は耐えなくてはならないのではないでしょうか。
この議論に、犠牲者を持ち出すことに僕は反対です。
「犠牲者のおかげで」などという言葉を耳にしたくはないです。
 〇
 彼の意見に賛成する人も多いだろう。たしかな
 考えだと思う。
 彼にはこんなメールを返した。
 〇
 貴重なご指摘どうもありがとう。
 自分の責任で書いていますので
 あらゆる批判は受けるつもりでいます。
 他の人はどうかはわかりませんが、
 自分が犠牲になることでみんなが良くなることが
 あれば、それはそれで犠牲は報われることになる
 のではないかという思いが、少なくとも私には
 あるような気がします。
 釜石では津波で過去に
 何度も経験し、その経験から世界最深の防波堤
 を3年前にやっと完成させました。それがあっても
 今回の惨事は起こってしまいました。しかし
 それがなければ、今回のもっと何倍もの方が
 命を失っただろうという思いもどこかに
 あります。過去の世代の尊い死が少なくとも一部は
 未来の世代を救ったという意味で、報われたのだと
 信じたい気持ちがあります。
 〇
 
 報いるとは何か。
 報われないとは何か。
 『希望のつくり方』にも書いたが
 報われない努力であったとしても
 それは価値がある、意味がある
 とも、私は考えている。