今日は、ひさしぶりに講演。
新宿だったけれど、最近行く
機会が減ったな。むかしは通勤路だったり
新宿モノリスによく行ったのだけれど。
いつものように当たり前のことを
当たり前にしゃべって帰ってくる。
紀伊国屋で何か面白い本を買おうかと
思ったけど、あまりの人出に疲れて
そそくさバイバイした。
カテゴリー : 玄田日記
負けっぷりヨシでいこ!
ニュース見。
オリンピック選手。
なんで入賞した選手だけ「おつかれさん」
なのかな。反対に競技前の繊細な状態の
選手に開会式で旗手とか主将をさせたり
(古い?)・・・。 よくわからん。
覚せい剤の密輸?
おいおい、ウチの田舎だよ。
松井、残念だろうけど、これでまたひと皮
向けそうに思う。
彗星
連休中にクリント・イーストウッドの
「許されざる者」を観たり。今日は
石倉君から借りた「シーズンチケット」
観よ。
さっきJ-WAVEのホット100聴いて
たら、クイズで現在近づきつつある
彗星のクイズ三択が。
1)ロハス彗星
2)ニート彗星
3)セレブ彗星
正解は2)だそうだ。
東海林さんの「タンマ君」にもニートが
登場するし。
個人的には、ニートの問題はいろいろな意味で
長期戦だと思ってる。居酒屋での若者論談義
とは違うんで。
持久戦のポイントはうすく切れないこと。
そのためには、いろいろなことを3つか、
5つくらいするといいような気がする。
いつもだと、お酒を飲みながらそんなことを考えるんだけど
今はしょうがないので、中島らもの「今夜、すべてのバーで」
を読みながら、ボーっとしてます。
ラジオな一日
昨日は、「ラジオ版学問ノススメ」という
番組の録音。希望学について、ラクレの
内容をお話してきた。
5月14日日曜朝9時から
JFN11局(FM青森、岩手、群馬、
新潟、静岡、福井、岐阜、岡山、
香川、徳島、高知)で放送予定だそうです。
蒲田健さん、番組スタッフのみなさん、
お世話になりました。
ラジオが好きだ。以前、長野智子さんから
「(AM)ラジオは惑えるメディア」といわれた
のを、印象的におぼえている。
テレビほどの影響力はないけれど、
聞く人が聞いてくれていて、みんなで
ああかな、こうかなと決めつけず
考えられるのが、ラジオだ。
玄田ラヂオも、そんな感じをめざしてる。
ぼくはラヂオになりたい(なんだそりゃ)。
もう何年もNHK第二放送で高校講座
「現代社会」という番組の一部を担当している
のだけれど、それは一人だけでしゃべっている
ので、話し相手がいる番組は楽しい。
録音が終わった後、半蔵門のタリーズで
アイスラテを飲んでいたら、目の前に谷中修吾君が!
知らなかったんだけれど(ゴメン)、平日朝5時から8時、
FM東京で番組を担当しているそうだ。
そんなこんなで
連休もあいも変わらずラジオを聴きながら仕事してる。
格差とは何か
最近、私にも「格差」についてのインタビュー
依頼がたまに来たりする。多分、大竹さんや
佐藤俊樹さんほどではないけれど。
ただ、「格差」というとき、最初に思いつくのは
恩師・石川経夫先生の著作『所得と富』
の次の一文。今でも、それが自分の基本だ。
○
市場の評価としての賃金の差異のすべてが、
分配上の問題をはらんだ「格差」を意味する
わけではない。人々が過去に費用と努力を投じた
教育や訓練の成果を反映した賃金の差異、あるいは
仕事の質に対する人々の趣好の差を反映した賃金の
差異は、均等化差異と呼ばれるように、まさしく無害な
格差の典型である。
さらに、人々に天賦の才として与えられた能力(芸術的
才能、運動能力、論理的思考能力、経営的才覚など)を
理由とする所得の差異は、分配上の問題を提起するする
としても、それはむしろ市場評価のレベルを超えた再分配の
対象として考慮するのが適切であろう。
市場的評価のレベルで問題とすべき「真の賃金格差」が
存在するのは、同一の能力・趣好を持ちながら同一の
所得機会に恵まれない人々のいる場合である。
労働市場の二重構造論が明確な意義をもつのは、
このように定義される格差が存在する場合である。
—『所得と富』(岩波書店、第6章、286ページ、1991年)
○
こういう本が今こそ読まれるべきだと思うが。