努力が報われない社会

  努力が報われない社会は
 よくないという。今はそんな
 社会だという。
 だが努力は報われるために
 するものなのだろうか。
 報われなかったとしても
 やる価値がある努力もある
 のではないか。
 報われない努力は 
 する意味がないというのが
 常識となった社会も
 ずいぶんつまらない気も
 するのだが、どうなのだろう。

三つの基準

 
  ここ最近、修士論文、投稿論文、博士論文
 など、たくさんの論文を読んだ。そのなかで
 論文の価値を評価する基準を、自分自身、
 三つ持っていることに、ふと気づいた。
 その三つとは
 1.独創性
 2.重要性
 3.厳密性
 だ。どの基準もそれぞれ厳しいものだ。
 いずれについても最低限の水準は超えている
 ことが求められる。その上で、三つのうちの
 どれでもいい、なにかキラリとするものがある
 ことをつい期待する。
 全部でなくてもいい。
 どれか一つでもいい。
 でもどこかで1.を期待している自分が
 いるのもまた事実だ。

ささない指

 なんだか、最近
 よく足を机や椅子に
 ぶつける。しかも
 なぜか決まって
 右足だ。
 ずっと親指のとなりの
 指(ひとさし指?手でも
 ひとをささないが、足では
 もっとささないぞ)を以前
 したたかぶつけ、爪に血が
 たまっていた。
 
 それがなんとか治ったかと
 思ったら、即座に右足小指を
 ぶつけ、やはり今血が爪に
 たまっている。
 そう思ったら、今度は右足
 くすり指だ。いったい、どうなって
 いるんだろう。
 それにしてもぶつけたときは 
 笑うほど痛い。