ご報告

 本年度も終わりに近づこうと
 しています。一年にわたり、今回も
 多くの楽しい方々に出会うことができました。
 また数多くの講演などのお誘いを
 いただき、お礼申し上げます。ただ
 あいにくスケジュールの都合がつかず 
 お断りせざるを得ない場合もあったかと
 思います。どうかご容赦ください。
 尚、来年度につきましては、少々
 考えるところもあり、本務である
 大学での教育および研究と、新書の執筆に
 できるだけ専念させていただければと思います。
 したがって、既にお引き受けしている件を除き、
 当分のあいだ、たいへん勝手ではございますが
 講演のご依頼は基本的にお断りさせて
 いただければと思います。
 そう遠くない将来、また直接みなさんとお話
 できる機会を広く持たせていただきたいと思います。
 そのときを私も楽しみにしています。
 玄田 有史

人間に格はない⑤

 今回の『人間に格はない』
 は、『人間失格』を意識したものではない。
 さらに
 『人間に核はない』読みましたよ
 という、それはそれで意味が深そうな
 お手紙をいただくこともある。
 共通するのは、はしがきの
 石川幹子さんの言葉に対する反応だ。
 『一生一作』は石川経夫さんの言葉でもある。
 すべて事実である。
 

なくもなくもない

  言語統制とか、言葉狩りみたいなことは
  好きじゃない。
  でも、自分で気をつけている言葉はある。
  前の「きちんと」もそうだけれど、思うと
  「先程言いましたが」も要注意だ。
  気持ちとしては、「何度もすいませんねえ」
  と言っているのだが、ニュアンスによっては
  「何度も、何度も、まったくもう・・・」と伝わりかねない
  こともない(どっちだ)。
  まったく言葉はむずかしい。

愚かな私

 男性「息子がDJになりたいって、いってるんです」
 ゲンダ「いいんじゃないですか。
 ラジオはいいですよ。テレビより何倍もいい」
 男性「・・・そ、そうなんですか」
 ゲンダ「でも最近は、DJっていわずに、
 パーソナリティとか、ナビゲータって
 いうらしいですよ。カビラさんとか、
 お父さんがDJだったのを意識して、
 あえてナビゲータって、いうそうですよ」
 男性「・・・・」 
 アホか。ラジオじゃないよ、クラブだよ。

とんちき

 前にも書いたような気がするが
 (だいたいもう記憶がない)
 「きちんと」という言葉がどうも 
 好きになれない。論文やエッセイを
 書くときにはぜったいに使わない(たぶん)。
 「しっかりと」もそうだ。
 ただ、「きちんと」というのが、どうして
 好きになれないのかを、きちんと説明できない。
 昨日もそうだった。
 
 はがゆい。