超越

  『月刊フィランソロピー』2月号に
 日本フィランソロピー協会理事長の
 高橋陽子さんが、
 以前、同誌に寄稿された
 横澤彪さんの文章を紹介されていた。
 
 タイトルは
 
 「利口と馬鹿を超越した存在」。
 ○
 自分を利口だと思っている人は
 意外に多いものだ。いや、正確に
 いえば、利口だと思わなければ
 生きていけない人が多いのだ。
 
 青年だったら、小生意気だが
 元気があっていい、ぐらいで済むが、
 年をとってもまだ自分が利口だと
 思っている人は本当に始末が悪い。
 世の中をダメにするからだ。
 
 逆に、自分を馬鹿だという人は少ないが、
 屈折した精神の人が多いから、
 油断すると痛い目に会う。
 
 この映画の主人公たちは、
 世の中から知恵おくれという烙印を
 押されているが、決して自分からは
 利口とも馬鹿とも言わない。
 全エネルギーをアートにぶつけているだけだ。
 その創造力の奥深さに圧倒される。
 
 利口と馬鹿を超越しているからだ。
 

なぜガマンしないといけないのか。

 ガマン(我慢)は
 なぜ、しなければいけない
 のだろうか。
 
 あらためて
 考えてみると
 そのはっきりとした
 理由は、正直、
 よくわからない。
 ただ、思うのは、
 ときとして、
 ガマンをしなくてもいい
 または
 ガマンしてはいけない
 特別なばあいが
 ある
 ということだ。
 そんな特別なときには
 ガマンしない分、
 かならずいろいろな人たちに
 めいわくをかけたり
 お世話になったり
 しているものだと
 思う。
 それでも
 やさしくゆるしてもらえる
 ためには、
 日ごろは
 できるだけ
 ガマンできることは
 ガマンするように
 練習するのが
 大事なのではないかと
 思う。