今こそ、希望学を
始めなければならない。
そう思っている。
詳細が決まり次第、
ここでもご紹介したい。
2011年3月
「報われる」について
前回書いた内容に対して
信頼する友人から
違和感があるというメールを
もらった。犠牲者が報われる
ことは永遠にない、というのが
彼の意見だ。それはこうだ。
〇
いうまでもないですけど、地震や津波で死んだ人たちは、
日本の財政危機を救うために、死んだわけではないです。
大災害による、無情な、無意味な死です。だからこそ、
これほどの悲劇なのです。生き残った者が、死者に後から
「意味」をはりつけることに、強い抵抗を感じます。
財政危機から日本が脱しえたとして、犠牲者は「報われる」
のでしょうか。どんなことがあっても、犠牲者は永遠に報われなどしない。
そのことに、生き残った者は耐えなくてはならないのではないでしょうか。
この議論に、犠牲者を持ち出すことに僕は反対です。
「犠牲者のおかげで」などという言葉を耳にしたくはないです。
〇
彼の意見に賛成する人も多いだろう。たしかな
考えだと思う。
彼にはこんなメールを返した。
〇
貴重なご指摘どうもありがとう。
自分の責任で書いていますので
あらゆる批判は受けるつもりでいます。
他の人はどうかはわかりませんが、
自分が犠牲になることでみんなが良くなることが
あれば、それはそれで犠牲は報われることになる
のではないかという思いが、少なくとも私には
あるような気がします。
釜石では津波で過去に
何度も経験し、その経験から世界最深の防波堤
を3年前にやっと完成させました。それがあっても
今回の惨事は起こってしまいました。しかし
それがなければ、今回のもっと何倍もの方が
命を失っただろうという思いもどこかに
あります。過去の世代の尊い死が少なくとも一部は
未来の世代を救ったという意味で、報われたのだと
信じたい気持ちがあります。
〇
報いるとは何か。
報われないとは何か。
『希望のつくり方』にも書いたが
報われない努力であったとしても
それは価値がある、意味がある
とも、私は考えている。
報うために。
ここでは政治的なことを
あえて書かないようにしてきた。
けれども、今日はそのルールを
自分で破る。
これから復興にむけて途方もない
費用と労力、そして忍耐を必要と
するだろう。
それを賄うためには、国民全体で
必要な財政を持続的に担保する
ことが不可欠になる。
具体的には消費税率のアップである。
そのためには政治的な大連立を
小異を捨てて実現し、国民に負担の
必要を説明し、税率改正を進めなければ
ならない。
これまで多くが必要を感じながら実現
できなかった財政再建の道のりをつけるのは
今しかない。このタイミングを逃せば
もう取り返しがつかない。
実現すれば、多くの亡くなった方々の
尊い犠牲のおかげで、日本はみずから
国の危機を乗り越えることができたのだという
歴史が永遠に刻まれることになる。
反対に実現できなければ、多くの方々の犠牲は
永遠に報われないことにある。
政治決断のときだ。
今は、それどころではないだろうが
そう遅くないうちに決断の瞬間がくる。
時間はそれほど残されていない。
ルール
どうしようもないほど
過酷な状況を実体験している人に
後からやってきた人が
「〇〇すればよかったのに」
などと軽々しく、わけ知り顔で
語ってはいけない。
最低限のルール。
情報_0312
下記の情報提供がありました。
情報が手に届かない人へ
何ができるのか、考えています。
>
> ご存知かもしれませんが、東京外大の学生さん達が始め
> た「災害マニュアル」を多言語に簡易翻訳したサイトを
> お知らせしておきます。
>
http://nip0.wordpress.com/english/
私が今得ている情報では
釜石には旧街道でも入れないようです。
救助活動が最優先されています。