『雇用差別と闘うアメリカの女性たち 最高裁を動かした10の物語』
ジリアン・トーマス著、中窪裕也訳、日本評論社、2020年12月刊行
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年始、フワフワした気分のまま、テレビを観ていた。箱根駅伝の中継が流れるなか、逆転総合優勝を果たした大学の監督が途中、伴走車から「男だろ!」と拡声器で叫んでいた。監督に応じ、ヒーローになった若者もインタビューで「男なら(やるしかない)」と答える。「何も変わっていない」。新年早々げんなりした気分になりそうだった。
だが、そんな憂鬱を一気に振り払ってくれた本書に出会えたのは、実にラッキーだった。読み終えたとき、良質なアメリカのドキュメンタリー映画を見たような、さわやかさと切なさが同時に心のなかに広がった。
本書で描かれるのは、米国での裁判を舞台にした、性による差別にまつわる事実である。視線は差別を訴えて原告となった女性一人ひとりの人生に合わされる。差別はいつでも、かけがえないのない人生、つまりは個々のキャリアにとって、取り返しのつかない禍根を残す。職場で差別を感じたことのある日本の読者は、とても他人事と思えないだろう。
一連の物語は、1964年に公民権法が成立した際、第7編にほとんど偶然といえるかたちで「性による差別」の禁止という文言が追加されたことから、すべてが始まる。10件の事例は、個別で固有の問題をはらむ。共通したのは「性的ステレオタイプ」「パターナリズム」によって、女性を当たり前のように支配しようとする、まさに「男しか、女のくせに」の世界。日本に限らない。アメリカだって、ずっとそうだったのだ。
そんな世界に異議を唱えて主張する女性には、偏見、敵意、そして報復が待っていた。苛烈もしくは蔓延するセクシャルハラスメントも無意識のまま、職場で常態化した時代が長く続く。特にひどい仕打ちを受けてきたのは、有色人種、シングルマザー、チップ労働者など、貧困もしくはすれすれの生活のなかにある人々たちだ。原告となった女性の多くが、訴訟中に職を失い、レストランなどでパートとして働いていた。不正を許してはならないという思いだけを支えに、何年も試練に耐え続けた。その過酷な忍耐にも、ハッピーエンドが待っているとは限らない。
公民権法第7編とあわせ、1978年成立の妊娠差別禁止法も、雇用差別との闘いの歴史を動かす。生まれくる子どもを守るには、誰が何をすべきなのか。妊娠した女性は「他の同様な労働能力ないし不能の状態にある」労働者と同じく扱われることが、使用者に義務づけられる。だが、いったい「能力」「不能」とは何を指すのか。性別の問題だけでなく、簡単には決着がつかない難問に直面しながら、雇用差別への闘いは続けられてきた。
差別を許さない社会を築くには、一発逆転のホームランを待つだけでなく、裁判による地道な変化を積み重ねていく必要がある。それも本書の隠れた大切なメッセージだ。積み重ねも着実とはいえず、試行錯誤を覚悟しなければならない。
10編の物語をドラマ風に表現すれば、エンドロールの配役の最初に登場する主役は、いうまでもなく(連邦最高裁の判決で注目されるまでは)無名の原告女性たちである。続いての登場は、勝てる見込みもそうない訴訟を、さまざまな理由で引き受けることを決めた弁護士。両者に共通するのは、不安を抱えながらも闘うことのリスクをおそれない、ひたむきさだ。原告女性と弁護士の信頼関係がなければ、差別への勝利は、到底かなわなかった。
良いドラマになにより欠かせないのが、名脇役である。公的な存在として裁判にときに重大な影響をもたらすこともある雇用均等委員会(EEOC)。裁判の行方を決める大切な参考資料となることも多い第三者の意見提出であるアミカス意見書。関連した裁判を経験した人々が容赦なく質問攻めの訓練を担当弁護士に浴びせかける模擬法廷。長年研究してきた立場から訴訟への協力要請に受けて立つ専門家。同じく性差別反対を唱えながら、妊娠などの考えが異なる団体同士の対立など、すべてが裁判を取り巻く重要場面を支えている。
裁判の行方を最終的に決定するのは、いうまでもなく判事の面々である。保守派とリベラル派の鋭い対立はもちろん、同じ思想・立場にありながらも異なる主張が交わされるなど、法廷での議論の展開は、最後までスリリングの一言に尽きる。昨年逝去したルース・ベイダー・ギンズバーグ(RBG)連邦最高裁元判事など、訳者あとがきにあるように、影の主役の一人である。RBGの言葉は、キャリアデザインにとって法律がいかに重大な意味を持つか、そして法をもとに差別といかに闘えばよいかを知る手がかりになる。それは性差別に負けたくないと思う人々への、この上ないエールでもある。
差別と闘うすべての人物に共通するのは、どんなときも個人こそが尊重されなければならないというゆるぎない信念と、組織的に一体となって立ち向かわない限り差別はなくならないというレッスン(教訓)への賛同である(背景に人種差別との闘いの歴史があるのは想像に難くない)。雇用差別に対し、アメリカの苦闘の経験から学ばなければならない本当は、個々の尊重と組織の一体化のシンクロ(一致)の妙にある。
キャリアデザインの研究と実践を目指す私たちが、本書から学ぶことは多い。差別と闘うには、平等とは何かという「平等からの問いかけ」に対し、あきらめることなく向き合い続けなければならない。「自分の人生を他人に決めさせてはならない」(221ページ)など、キャリアデザインの根幹に迫る言葉として、深く胸に刻みたいと思う。
最後に、素晴らしい訳書を届けてくれた中窪裕也氏に心から敬意を表したい。中窪氏は、ご存じのとおり著名な労働法学者であり、労働問題に関する多くの研究業績を持ち、アメリカ労働法に最も精通した研究者である。それらを知らない読者は、訳者あとがきを読むまで、翻訳はそれを生業とするプロフェッショナルのすぐれた仕事と信じて疑わないだろう。
読者が本書にどんどんひき込まれていくのには、なにより著者ジリアン・トーマス氏の豊富で綿密な取材と、みずから弁護士として多くの訴訟を手がけた経験をふまえた卓越した記述が理由にある。加えて、性差別という問題を深く考え、かつ負けないための手がかりを日本の人々に広く届けたいという、訳者である中窪氏の思いを本書の端々で感じるからにちがいない。
すべての会員に読んでいただきたい、自信をもってお薦めできる一冊である。
日本キャリアデザイン学会
「キャリアデザイン・ニューズレター第196号」2021年1月15日刊行より抜粋