「2007年問題」を検証する

 2007年問題とは何か。『イミダス』(2006年版)において労働経済学者の中馬宏之氏と労働法学者の小嶌典明氏は解説する。
「団塊の世代(1947~49年生まれの人々)でも一番多いとされる47年(昭和22年)生まれの人々(約300万人)が60歳定年を迎える年が2007年であり、この時に彼らの保有する(暗黙知=勘や直感、個人的洞察、経験に基づく知識・ノウハウとしての)技能・技術が退職によって未活用になってしまう可能性を危惧し「2007年問題」と呼ばれる」(184ページ)。
 2007年問題はメディアでも取り上げられ、社会的な関心も高い。ただ、だからといってすべての企業がこの問題に頭を悩ましているわけでもない。厚生労働省『平成16年度能力開発基本調査』によれば、従業員30人以上の企業のうち、2007年問題に危機意識を持っているのは22%に限られる。正確な実態把握を欠いたまま、世代人口の多さという団塊世代の特殊性が、過大視されているかもしれない。そこで本号特集では「2007年問題」について厳密な労働研究による検証を行った論文を寄せていただいた。
 三谷論文「企業の最適人材構成と人材戦略」は、団塊世代の定年退職が企業の人材戦略・人事労務管理に与える影響を分析する。団塊問題の企業経済学的な意味が世代効果、置換効果、動機付け理論等から手際よく整理される。
 さらに企業アンケート調査に詳細な分析を加え、団塊の世代と企業の人事戦略との関わりを検証する。団塊世代の定年退職が与える影響は、技能継承問題や退職金の負担増といった負の側面だけでなく、人件費削減、ポスト不足解消、年齢構成平準化といった好ましい面を評価する企業は多い。
 近年、女性、高齢者、若年労働の積極活用を意図する企業も増えつつあるが、その動機は団塊世代の引退という一時的なものではなく、能力開発の重点化と相まって長期的に推進されつつあると三谷は指摘する。同時にかつて不況により能力開発の機会に恵まれずフリーターやニートを多く輩出した世代への重点的な支援策が必要と述べている。
 続く太田論文「技能継承と若年採用」は、2007年問題のキーワードである「技能継承」に焦点を当て、若年採用との関連を検証する。
 技能継承は若年採用にプラスとマイナスに働く両面を持つ。プラス面としては、技能の効率的継承による生産性上昇が効率単位の労働費用を低下させる費用低下効果と、「教え手として優秀なベテランがいるから習い手の若手を追加的に採用しよう」という補完効果の両方から、若年採用を促進させる。一方、技能継承によって以前より少ない人数で同様な生産が可能になる労働節約効果もあり、若年採用はむしろ抑制される可能性もある。
 その上で太田氏は、技能継承促進は若年採用を総じて拡大する傾向があることを実証する。技能継承と若年採用に相乗作用があることは、企業が長期的な視野から技能継承を促進する政策と若年の就業環境を整備する政策を補完的に行うことで、小さな財政支出で大きな経済効果が期待できると指摘する。2007年問題として技能継承促進に注目が集まる今こそ、若年雇用政策を重点的に行う好機と結ぶ。
 太田氏と同様、2007年問題を長期的視点に立った人材の確保と育成という観点から検討したのが、久保田氏による「団塊世代の引退による技能継承問題と雇用・人材育成」である。
 久保田氏は2007年問題に最も危機意識の強い製造業を事例に、技能継承問題を「伝える側」「伝えられる側」「伝え方」の三つの視点から整理している。最大の課題は「伝えられる側」の確保とし、リストラで中堅の技能労働者を削減し、短期的な業績回復重視から正社員の採用を手控えてきた「失われた10年」のツケの顕在化を強調する。そして人材の確保育成には、技能労働者の向上意欲を長期にわたって保つ仕組みづくりが、製造業企業の生き残りにとって急務と主張する。
 
 山下論文「高年齢者の雇用確保措置をめぐる法的諸問題」は、法学的観点から、高齢者の継続雇用に向けた環境整備について重要な論点を整理している。
 2004年に改正された高年齢者雇用安定法によって、高年齢者の多様な職業生活を意欲や体力に応じてデザインする道筋は示された。しかしそれを労使協議のなかで実現していく場合、事業主が人事や費用の調整を的確に、同時に労働者は労働条件の引き下げに納得できる環境の整備が欠かせない。
そのため、雇用主の雇用確保措置が実施されず、実質的に法所定年齢以前に定年退職扱いを受けた場合、解雇権濫用法理が適用されるべきであることや、手続きに問題のある労使協定で高齢者の係わる基準が設定された場合の無効性が具体的に論じられる。
 野呂・大竹論文「年齢間代替性と学歴間賃金格差」は若年、中年、高年のグループ間の不完全代替性に着目し、高学歴化が学歴間賃金格差に与える影響を世代別に分析する。
野呂等は学歴と年齢層ごとに労働者をグループ化し、それらを生産要素とする生産関数を想定し、グループ構成比率と相対賃金の分析から、いかなるグループ間の代替性が大きいかを調べる。
 その結果、高卒は年齢間代替性が大きい一方、大卒では近い年齢層にのみ代替性が観察される。それは団塊世代退職の影響が、高卒ではすべての年齢層の賃金に及ぶのに対し、大卒では比較的高い年齢層の賃金に限られることを物語る。
 
 以上の企業の人事政策及び労働市場の動向として2007年問題や団塊世代問題を検証した研究に加え、退職する団塊世代の60歳後の生活や生きがいに目を向けたのが、岡村論文「定年退職と家庭生活」、佐藤論文「団塊世代の退職と生きがい」である。
 岡村論文は、高度経済成長を猛烈サラリーマンとして担った夫と専業主婦の妻という性別役割分業の家族を形成してきたことを団塊世代の特徴と位置づけ、夫の定年退職後に直面する課題を整理する。
退職後は、夫婦関係は共同化より個人化へと進み、性別分業といった従来規範からの決別が避けられない。団塊世代の女性たちは、これまでも常勤型、パート型、社会運動型など、母や主婦としてだけでなく、様々な社会的連携を築いてきた。深刻なのは団塊世代の男性である。ときに「リストラ・ショック」を心に抱えながら、個人として自立する新たな挑戦が退職後には待っている。
 佐藤論文は、各種調査に基づき、団塊世代の生きがいの行方を検証する。幸福の在処をモノからココロ、すなわち生きがいに求める傾向は加齢と共に高まるが、内容には個人差もある。兎角膨大な人口規模にばかり注目が集まる団塊世代だが、そのキャリアを見ていくと、必ずしも同一の階層、思想、経験の集団でないのもまた事実である。
 団塊世代では個人的な趣味の多様性が広がり、趣味に対する積極性と充実度も高い。今後、退職イコール老後という図式が崩れ、「緩やかな退職」が増えていく。団塊の世代が個人的な生きがいを求めるだけでなく、会社や地域を通じて積極的に社会に関与していく新しい高齢像をいかに創造するかによって、高齢社会の姿は大きく変わるだろう。
 
 いずれも、経済学、法学、社会学、心理学、さらには実務に長けた執筆者による読み応えのある論文である。本特集は2007年以降における退職問題を論議するときの優れた情報源となるだろう。
『日本労働研究雑誌』2006年5月号(解題)