SNEP (37)

 私は、個人的には
 一人でいるということが 
 それほど嫌いではありません。
 むしろ好きなほうだと思います。
 私は、いまだに携帯電話を
 持ちませんが、その理由も
 つきつめると、一人でいられる
 時間、一人でいられる自由を
 得たいと、どこかで思っているから
 かもしれません。
 仕事で旅をすると、けっこう
 一人で出歩くことが好きです。
 会議中、ずっと関係者だけで
 ホテルで食事をしている人などを
 みると、なんだかもったいないなと
 思ったりします。
 一人で呑みに歩くと、むかしは目の
 やり場とかに困っていましたが、最近は
 ただぼんやりしていることに、なれて
 きました。いい意味でも、そうでなくても
 一人の時間に、いろいろ考えることが
 多いように思います。
 私ではなく、誰かがスネップについて語るのを
 知ったとしたら
 一人で、家族だけで、多いに結構じゃないか 
 と思ったかもしれません。
 しかし、これは希望学で学んだことでもありますが
 ずっと一人でいることは、希望を失わせることに
 つながります。すると、今度は、希望ってないと
 ダメなのかということになりますが。でも希望が
 あってこそ、失望もできる、そして失望を経た上で
 新たな希望に出会うといった、自分だけの物語も
 生まれます。
 希望はあればよいとか、希望とはつねに 
 すばらしいものだとは、私は思いませんが
 希望は何かを動かす原動力であることは
 まちがいないのだと思います。
 
 一人でいる、沈思黙考することはとても
 大事だと思いますが、そればかりになって
 しまうことも、さみしいことなのだと感じます。
 一人で呑むのも好きですし、だからこそ 
 たまに仲間と会って、ばか笑いしながら
 ダラダラ呑むのも好きです。
 なんだか、今日はスネップの話しから
 それてしまいました。