十六

朝、ラジオを聴いていたら
16歳からの相談を話していた。
コミュニケーションがうまく
取れないが、どうすればいいのか
という。

家族などのこともあるかも
しれないが、
おそらくは友だちなどと
うまくいかない、
友だちができない
といったことだろうか、
と思った。

昔、そういう質問を自分も
受けたことがあるなあと
思い出した。今だったら、自分なら
なんて答えるだろうかと
勝手に思ったりした。

人づきあいが苦手だと思う10代には親近感が湧く。

ひとつ言えるとすれば
「これから変わるから大丈夫。」
ということだろう。
変わるには、自分が変わるという
こともあれば、周りが変わるという
こともある。

実際、大人になって社交的だったり、
人と交わるのが上手な人のなかには、
10代の頃はあまり人と話さなかった、
人とかかわるのが苦手だった
という人が多いように感じる。

特に作家やアーティストなどの
活動の原動力には、かつて自分の
本当に伝えたいことが表現できなかったという
10代の頃にずっと感じ続けていた
「もどかしさ」
があったりする。

振り返ると、10代の頃の
コミュニケーションの中心には
言葉によるものか、そうでなければ
いっしょになにかをする、といった
のどちらかくらいしか、なかったように
思う。そのこと自体を、16歳が一人で
変えることは、多くの場合、むずかしいのは
確かだろう。

けれど、高校を卒業すると、人とコミュニケーション
をする手段や方法は、びっくりするくらい増えたりする。
言葉以外でも、いっしょにいなくても
コミュニケーションはいくらでもできることを
はじめて知ったりする。

先ほどの作家やアーティストであれば、
自分で何かの作品をつくるということが
コミュニケーションになったりする。
そこまでいかなくても、
黙々と働くこと、仕事をすること自体が
最大のコミュニケーションだったりもする。

それには努力ももちろんあるのだけれど、
場が代わると自然にコミュニケーションのあり方も
変わるものなので、大丈夫なんだよと、
伝えたい気がする。

それでも、今の
人に自分を理解してもらえない
という辛さは耐えられないという
16歳もいるのだろう。
ただ、それはじっと耐えるしかない
かもしれないし、それも案外わるくない。

耐えるといっても、
一定の諦めも持ちながら
本当の自分以外の自分を演じることも
将来きっと役に立つような気がする。
特に仕事をするときに。

それも難しいなら、
そもそも人とのコミュニケーション
ということに期待しない、
事実上離れてしまう、のも一つだろう。

ある編集者は、高校時代に
学校の図書館の本を全部読むと
決めたそうだ。本当に読んだかどうかは
知らない。よっぽど人付き合いができなかった
人だったのだろうが、今では出版界でも指折りの
コミュニケーターだ。

本でなくても、音楽でも、映画でも、
ゲームでも、ずーとかかわっていても
飽きないものが、見つけられれば、それも
どこかに何かにつながって、コミュニケーションの
きっかけになったりするから面白い。

何かを発信・表現することも
コミュニケーションだろうが、
何かを吸収・蓄積することも
実はコミュニケーションだ。案外、
10代に必要なのは後者かもしれない。

まあ、誰にも聞かれてもいないし、
どうでもいいんだけど。かくいう
自分も、高校時代の思い出す情景は
学校のベランダの塀に肘と顎を乗せて
ぼーっと外を見ていたことだったりする。