誤解

今朝、
雇用問題にまつわる
とある研究会に参加した。

そして実は自分が
完全に誤解していたと
思ったことがあった。

私は最近の労働問題のうち
最も重要なことは、
人手不足が続いているにも
かかわらず、なぜ実質賃金
(消費者物価に対する名目給料)
がいつまでも増えないのか
だと思っていた。

労働経済学の教科書を
みると、
失業が多く、
人手余剰のときでも
賃金は下がらないことがある
ということがよく書かれている。
ケインズの指摘した
「不況期における賃金の下方硬直性」
の問題だ。

今、起こっているのは
「好況期における賃金の上方硬直性」
なのだ。

人手が足りないのならば、
人を雇うことで利潤の拡大を目論む
企業は、賃金を上げてでも人手を
確保しようとするはず。
なぜそうならないのか。

問題は「人手不足」ではなかった。
重要なのは「人材不足」の深刻化
だったのだ。

どこか別のところや、別の会社に
会社が必要とする人がいるのであれば、
その人たちを惹き付けるためにより高い
求人賃金を提示する。また会社のなかに
必要とする人がいるが、人手不足で
引き抜きのおそれがあるときには、
賃金を上げることで、なんとか会社に
とどまってもらおうとする。

いずれも人手不足の前提は、会社に
必要な人材は「必ず存在」するという
ことだ。そのときには、いずれ賃金は
増えていくだろう。

しかし「人材不足」はそれとはまったく
事情が異なる。会社は特定の仕事を
やってくれる人を必要としているのだが、
そんな人材が社内外のどこを探してもいない。
それが人材不足、もっといえば人材枯渇、
さらには人材消失とでもいえる。

人材枯渇であれば、どんなに賃金を上げようにも
そもそも人がいないのだから、人が集まるはずが
ない。また社内にも人材やその候補者はいないと
会社が思えば、その人たちのために高い賃金を
払うことはない。だから賃金が上がることはないのだ。

そこには人を雇おうと思っても人材は求職してこない、
人を育てようとしても人材は育っていかないという、
一種の諦めが、企業にはある。
労働者の側にも、努力して然るべき人材になっても
採用されない、人材になるための育成機会も
得られないという諦めがある。

だとすれば
人材枯渇にもかかわらず
賃金が上がるとすれば
それはどのような状況なのだろうか。
働く人が独立・上昇志向を持って、人生の
ステップアップを繰り返しながら、転職や独立を
続けることで得られる熟練(skill)を磨き
それによって賃金を上げていく。また
会社も人材がいないとなれば、自分たちの手で
熟練を身につけた人材を丁寧に育てていく。
これらはともに高度成長期の時代に実際に
日本のなかで起こったことだった。

しかしそれらはいずれも同時に、21世紀以降、
急速に日本社会のなかで弱くなっていったことでもある。
そしてそれを取り戻すには、まちがいなく
とてつもない時間がかかる。だからすぐには
賃金は上がらない。目先で若干上がることはあっても
賃金の順調な上昇基調は簡単には取り戻せない。

賃金が上がらないのは、一時的な人手不足のせいではない。
賃金が上がらないのは、持続的な人材不足のせいなのだ。
その問題は、きわめて深刻だ。

No Music, No Life.

というコピーがあったが、
今本当に大事なことは

No Skill, No Wage.

なのだ。

 

七五三

学校を卒業して
就職した若者が
その仕事を3年以内に
離職するのが
中学卒で7割
高校卒で5割
大学卒で3割
といわれてきた。

いわゆる若年の
「7・5・3転職」
だ。
ところが
厚生労働省による
最近の調査では
そこに変化がみられるようだ。

大学卒の3割
こそ変わらないが
中学卒では6割、
高校卒では4割まで
下がっている。

くわしくは
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12602000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Roudouseisakutantou/0000058034.pdf
の16ページにある。

変化の背景として
好景気の人手不足
によって
当初から納得のゆく
仕事先に出会える確率が
中学・高校卒で上がったのだろうか。

一方で同じような
改善が大学卒でみられないのは
なぜなのだろうか。

今後も研究が必要なところだろう。

 

 

介護雇用改善法へ

ある研究会に参加、
介護の現状について
いろいろと学ぶ。

介護といえば
離職率の高さが
有名だ。

しかし介護労働安定センターが
実施した調査によれば
介護職員の離職率は着実に低下
しているのも事実だ。
2007年度には21.6%だった離職率は
2013年度では16.6%まで低下している。

厚生労働省の実施している雇用動向調査による
産業計での離職率は13年度が15.6%であり、
実のところ1%ポイントの違いしかない。

もっといえば雇用動向調査は
常用労働者5人以上の事業所が調査対象で
大規模事業書も少なからず含まれているのに対し、
介護事業所は1割弱が4人以下で、ほとんどが
100人未満の小規模事業だ。

そうなると、事業の規模を同じにして
(たとえば5人以上99人の事業所だけに限定)
比較すると、案外、介護職員だけが抜きん出て
離職しやすいということもないのかもしれず、
イメージの「刷り込み」や思い込みにすぎない
可能性もあるのだ。

それはいいかえれば
介護の雇用問題というのは
小規模事業所に特有の問題かもしれないと
いうことだ。

介護事業は
介護サービスに対するニーズの大きさと
設備投資などの負担が比較的小さいことから
介護事業には多くの小規模事業者が参入しやすい
産業構造が特徴だ。

そのために介護職員を適切に処遇するための知識や
経験を持たないまま、事業を続けている場合も少なくない
かもしれない。介護は賃金の低さが指摘されるが、
昇給や昇進などの仕組みも持たないことも考えられる。
実際、介護労働安定センターが実施した
「介護労働実態調査」によれば、
介護事業所で雇用管理責任者を選任している事業所は
せいぜい半分程度にしかすぎない。

推論の域にすぎないが、
同じ介護でも
雇用管理責任者がいる事業所と
そうでない事業所では
離職率、平均賃金、昇給の有無、仕事満足度など
は異なっているのではないか。

建設業では昭和51年(1976年)に
建設雇用改善法が施行され、
第5条で「事業主は、 建設事業を行う事業所ごとに(中略)、
雇用管理責任者を選任しなければならない」と 定められている。

高齢社会のなかで
介護産業はこれからも成長産業として
着実に発展していく必要がある。

そのためには
建設業に学びつつ
「介護雇用健全法」(仮称)により、
雇用管理に適切な知識を持つ
雇用管理責任者の選任を義務付ける
法的措置は必要なのではないか。

それがなければ、
介護職員の賃上げも
スムーズに進まないおそれもある。

雇用管理責任者の義務化は
介護事業者の負担を増し、
介護サービスの不足に拍車をかける
という反対意見もあるだろう。
しかし中長期的にみると
介護に有為な人材が集まるためには
介護事業の雇用管理の整備は
不可欠な課題であることは間違いない。

十分検討に値すると思うのだが
関係者の方々はいかがお考えだろうか。

 

 

 

東大社研・中村尚史・玄田有史編『<持ち場>の希望学 釜石と震災、もう一つの記憶』

希望学釜石プロジェクトは、震災以前の2006年から釜石地域で総合的な地域調査を行い、釜石の人々との交流を続けてきた。そして2011年9月からは研究者14名が集い、地域の人々の協力を得ながら、オーラル・ヒストリー(口述史)の手法を用いて釜石における「震災の記憶」をありのままに記録するプロジェクトをはじめた。本書はその記録を素材に、震災直後の被災地・釜石の人々の行動についてのエッセイを取りまとめたものである。

本書のキーワードは、題名にもある<持ち場>である。持ち場とは、必然・偶然にかかわらず、置かれた状況のなかで、全うすることをみずから決意し、行動した役割や場所を言う。持ち場は、事前に決まっていることもあるが、自発的に受け持つこともあるし、突如担うことになった場合もある。それは行政上の役職に限らず、企業や町内会、そして避難所などの自主組織でもそうだ。

震災直後の困難な状況の中、被災地の人々がそれぞれの持ち場を必死に全うしようとしてきた姿を数多く見聞きした。その持ち場意識こそが、震災直後の地域の崩壊をギリギリのところで食い止めてきたのだ。そんな持ち場を粛々と守り続ける人々に共通の前提となっていたのは、震災以前から築かれてきた家族や地域の「信頼関係」だった。

 

http://www.amazon.co.jp/%E3%80%88%E6%8C%81%E3%81%A1%E5%A0%B4%E3%80%89%E3%81%AE%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E5%AD%A6-%E9%87%9C%E7%9F%B3%E3%81%A8%E9%9C%87%E7%81%BD%E3%80%81%E3%82%82%E3%81%86%E4%B8%80%E3%81%A4%E3%81%AE%E8%A8%98%E6%86%B6-%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E7%A4%BE%E7%A0%94/dp/4130330721/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1418520824&sr=8-1&keywords=%E6%8C%81%E3%81%A1%E5%A0%B4%E3%81%AE%E5%B8%8C%E6%9C%9B%E5%AD%A6

9月24日 あさイチ?

水曜のNHKあさイチという
番組です。

メインテーマ無縁じゃない!女性の「ひきこもり」&「ニート」

http://www1.nhk.or.jp/asaichi/2014/09/24/01.html

ただ台風次第では延期になるかもしれません。

ひきこもりも、
ニートも、
スネップも、
主に男性の問題と
思われがちですが、
実は女性も多いのです。

スネップでは
未婚の無業者に限定しましたが
離婚や死別後に
家族以外とかかわりを失った
無業者(離婚スネップ)も
2011年で27万人にのぼり
多くは女性です。

その他にも親の介護をしている
うちにスネップとなった
介護スネップも少なくありません。

女性が陥りやすいスネップやニート
のことを多くに知ってもらいたいと
思います。

 

 

 

 

 

 

<地元>の文化力、今日発売

http://www.amazon.co.jp/%E3%80%8C%E5%9C%B0%E5%85%83%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E5%8A%9B-%E5%9C%B0%E5%9F%9F%E3%81%AE%E6%9C%AA%E6%9D%A5%E3%81%AE%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%9F-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E8%8B%85%E8%B0%B7-%E5%89%9B%E5%BD%A6/dp/4309624758/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1410504878&sr=8-1&keywords=%E5%9C%B0%E5%85%83%E3%81%AE%E6%96%87%E5%8C%96%E5%8A%9B

今回、この本の執筆者たちと、
地域で魅力的な活動を行う人たちに話を聞くなかで、
かならず質問してきたことがある。

「活動に参加してよかったことは、何ですか」。

いろいろな答えが返ってきたが、
なんといっても多かったのは
「人との出会い」だ。

「やっていなかったら出会えなかったような人に、たくさん出会えた。それが一番」。

ユニークな活動であればあるほど、
ユニークな人たちに出会えるというのは、
きっと本当のことだ。

活動に情熱をかけて取り組んでいる人たちのことは、
やる気があるとか、やりたくてやっているといった次元では、
語りつくせない。
彼ら、彼女たちは、きまって「何かに取りつかれた」かのように振る舞い、
行動している。

そうでなければ、
ときに多くの批判を受けたり、
多くの困難に直面しながらも、
あれほど辛抱づよく、
そしてときに飄々とやり続けられるはずがないのだ。

そんな人には、ふだんの仕事や生活のなかでは、
めったにお目にかかることはない。

地域でオリジナルな文化をつくるには、
3つの「思い人(びと)」が必要だ。
最初は、斬新なアイデアを「思いつく」人。
そして素晴らしいアイデアを具体化のプロセスに
落とし込むことができる「思い込み」の人
(この2つは後藤健市さんが言っていた)。

その上で欠かせないのは、みんなの夢を実現させることのできる
「思い遂げ」の人だ。

人には誰でも得意、不得意はあるが、
3つに思い人のどれかにはなれるかもしれない。
思い人はそれぞれ取りつかれたかのように動く。
その姿には、ある種の「狂気」がはらむ。
狂気との出会いは、
ちょっとコワイし緊張もするが、
それ以上にスリリングで、
生きている実感が得られるものなのだ。

 

 

シンポジウム『星が降るとき』2014.08.08

友人からシンポジウムのお知らせです。

みなさまへ

『星が降るとき-三・一一後の世界に生きる』
刊行記念シンポジウム開催のお知らせ

今回、共同編集者と共に日本とアメリカで活動する80余名の筆者が
福島と原子力について綴ったエッセイを集めたバイリンガル本(日英)
を出版しました。邦題名は『星が降るとき-三・一一後の世界に生きる』
といいます。

福島を舞台に、 震災後の日本や世界を覆う「闇」を見つめ、
どこかで輝くはずの「星」のありかを探そうとする論考集です。
3年経った今だからこそ、皆さんに是非読んでいただけたらと思います。

また執筆者でもある東京大学社会科学研究所の玄田有史教授と宇野重規教授
のご協力で、刊行記念シンポジウムを開くことになりました。
数名の執筆者を登壇 者としてお迎えし、来場者の方々と共に
福島や原子力という問題を様々な角度から議論を交える機会にしたい
と思っています。

日時と場所は以下の通りです。
どなたでも大歓迎です。ぜひご参加いただければ嬉しいです。

時間:2014年8月8日(金)13時〜18時
場所:国際文化会館・岩崎小彌太記念ホール(東京・六本木)
アクセス:http://www.i-house.or.jp/access.html

ご参加いただける場合には、お手数ですが、8月1日までに、
下記のメールアドレスまで、お名前とご所属をご連絡ください。
symposium0808@gmail.com

本とシンポジウムについての詳しい内容については
下記の「星が降るとき」ホームページまたは
Facebookページをご覧ください。
HP: http://toseeoncemorethestars.weebly.com/
Facebook Page: https://www.facebook.com/toseeoncemorethestars

8月8日に国際文化会館でお会いできることを楽しみにしています。

高橋五月
ジョージメイソン大学社会・人類学部
文化人類学助教授

『星が降るとき-三・一一後の世界に生きる』はしがきより

福島第一原発の炉心溶融から二週間を経て、
米国ニューヨーカー誌に「東京からのポストカード」として
大江健三郎の寄稿文『歴史は繰り返される』が掲載された。
この中で大江は、今回の福島第一原発事故を機に日本人が
核の歴史を直視し、広島、長崎の犠牲者の視点で捉え、
原子力が戦争抑止に有効であるなどという幻想と決別できる
ことを願うと綴る。そして、原子力という名の暗いトンネル
を抜けた、その後に見る夜空の星に希望の光を重ね、
ダンテの『神曲』の最終行を心の拠り所にしながらこう結んだ:
「かくてこの處をいでぬ、再び諸々の星をみんとて」。
日本に「原子の火」が灯されてから五十余年、日本の夜空は
瞬く街灯に包まれ、星は数えられるほどに減っていった。
しかし震災直後、明かりは消され、多くの人びとが夜空を見上げた。
空には星が降り、街は闇に包まれていた。
「三・ 一一後」の世界はふたつの闇で覆われている。
核の灯りを消すことで現れる闇は星を輝かせる一方で、
核がもたらす闇は星を雲らせる。つまり「星が降るとき」とは、
原発事故後に日本を覆った「闇」が持つ両義的な意味について
思いを巡らせる場である。

原発事故から二年以上たった現在、核にもたらされた「闇」は
更に広がっている。被災者をめぐる状況は改善どころか
複雑化していく一方である。まき散らされた放射性物質は、
日々の暮しに不安や恐れをもたらし、さまざまな分断や差別を生んでいる。
しかし、放射性物質の移動を阻む壁は存在せず、被曝と非被曝の境界は
とても不規則で曖昧である。ホットスポットは福島だけでなく
日本各地に広がり、海をも越え被曝を生み出している。
「闇」の源は福島だけではなく、ヒロシマ、ナガサキ、スリーマイル、
チェルノブイリ、そしてウラン鉱山、プルトニウム処 理施設、核廃棄施設
などでも生産されてきた。本書はこうした闇の下で生きることを強いられている
人びとの経験や記憶を刻み、福島と世界とをつなげる試みの一つでもある。

日常を核が浸食する「三・一一後」の世界で、人びとは何を守り、
何を背負い、何を捨て、何を拠り所に生きていくのか。
大江は震災直後に彼の思いを「東京からのポストカード」に綴った。
本書に投函された「ポストカード」は、 福島を含む日本各地および
世界各地に暮らし、「三・一一後」を生きる人類学、社会学、政治学、
生態学などの研究者、 活動家、農業者、生活者、詩人、芸術家などが、
それぞれの立場で、原発事故と原発事故がもたらした様々な事象と
そこに投影された日常を綴ったものである。

原発事故の「闇」は、意識的および無意識的に人びとの普段の生活の中へ
入り込んできている。そうした闇は様々な検出値、散在する放射線物質、
変幻自在なホットスポット、といった不揃いな大小の塊や破片となって
拡散している。深まる闇のなかで暮らすことへの葛藤、試行錯誤の日々が
続いている。しかし、再び街灯がともった「三・ 一一後」の夜空では
星を確認することは難しい。世界中の多様な声を綴っていく。
それぞれの思いを語り、つなげていく。長いプロセスであるが、
その後に見える夜空を想像する一歩となるのかもしれない。

二〇一三年三月二八日
サンタクルーズ、東京、プリンストン、京都にて
ヘザー スワンソン
セイヤー ライアン
高橋五月
内藤大輔

比較

人と人を比べて
どちらがより幸福か
なんて、簡単には
いえないものだ。
その一方で、私は
○○さんより不幸だとか、
△△さんよりは幸福だとか、
つい思ったり、感じたりする
のもまた事実だろう。
それに比べて、
私は××よりも
希望があるとか
希望はないとか
あまり言わないような
気がするのだが、
どうなのだろう。
強いて比べるとすれば
えてしてそれは
過去の自分だったりする。
むかしよりは今のほうが
自分(たち)には希望がある
といったことは、感じたり、思ったり
するのではないか。
昨日、釜石の根浜海岸沿いで
なぜかそんな話になって
なんだか面白いと思った。