今日で2006年度もおしまい。
新しく出会った方、引き続きお世話になった方、
本年度も、本当にありがとうございました。
2006年度は、仕事についての考え方や目指す
方向性を、自分なりに大きく転換した一年でした。
とてもよかったと思っています。来年度も基本的な
考え方は、同じ方向です。
それにしても、だ。
去年の今ごろ、定期券を落とした。実に幸運なことに
親切なタクシーの運転手さんに拾っていただき、事なきを
得た。
それが、今年も今週、また同じ定期を落とした。しかも
前回同様、日頃乗ることのない路線で落とした。ただし
今回は駅から降りて気づく。定期がない。コートの上から
からだ中をパチパチパンチで探してみたが、見当たらず。
さては、電車で落としたか。ない。
ところが、なんと今回も、定期が見つかる。今度は翌日
落としものセンターに電話したところ、終点の駅でみつかった
という。奇跡。
駅から駅へと転送され、やっと今日、手に入れる。駅には
拾得定期の看板にしっかり「ゲンダユウジ」という名前が。
思わず心でガッツポーズ。
お世話になったみなさま、本当にありがとうございました。
今度こそは、落としません。たぶん。
2007年3月
松江からボストンへ
ボストン、正確にはお隣のケンブリッジにいます。
ワークショップに参加したり、セミナーで報告させて
もらったりと、とても良い経験をさせてもらいました。
本当に新鮮な気持ちでいろいろなことを考えたり
勉強することが出来ました。やっぱり、時間が
あるということは、大切だなあ、とも。
ひさしぶりに昔住んでいたアパートのあたりを散歩
してみたのですが、12年前と、お店など風景が
変わっていないことが多いのにとても驚きました。
日本国内のこの数年間のめまぐるしい変化を
反対に意識したり。
驚いたのは、小学校のときの同級生の
ハヤマ君に、実に30年以上ぶりくらいに
出会ったこと。見た目も性格も全然変わってないし、
はじめて一緒に飲んだのだけれど(!)、とても
楽しかった。キューちゃん、どうも、ありがとう。
メアリーさん、フジヒラさん、ビル、ハヤマ君をはじめ、
ハーバードのみなさんにはとてもよくしてもらいました。
この場を借りてお礼申し上げます。
12年前と変わったのは、こんなかたちで
外国にいながら日本語のやり取りが出来る
ようになったこと。当時は、日本語に飢えて
いました。それはそれで、とても自分にとって
良かったことでした。そんなことも思い出しました。
金曜朝にこちらを発ち、花粉が待つ国に戻ります。
へっくしょい。
釜石に希望がある
ボクは釜石に来ると、いつも飲みすぎてしまう。楽しいからだ。
食べものもおいしいし、なんといっても人がいい。2007年1月に希望学調査団として、はじめて釜石におじゃましたときの印象を、宇野君はなんだかいつも笑っていたと書いた。ボクは今でも、ここに来ると笑ってばかりいる。岩手日報の藤江さんは釜石赴任から当地を離れるまで「ここで嫌な思いをしたことが一度もなかった」と言った。ボクもそうだ。これからも、きっとそうだろう。
外から訪れた人の多くにとって、じつに居心地の良いこの街も、そこで生活する人たちにとっては、けっして楽しいことばかりではないかもしれない。若者が減っていく。学校は少なくなる。仕事もなかなか増えない。中学生や高校生は、遊ぶところがなくてつまらないと言う。病気への対応や法律相談など、将来への備えも万全とは、けっしていえない。なんといっても遠い。遠い遠野より遠いのだから、よほど遠いと、東京に住む人は思う。
でも、ボクは釜石が好きだ。そしてこの釜石の未来にも希望はあると思っている。どれだけ人口が減ったとしても、地域に小学校を一つは残したいと、山華の八幡社長は言った。「自分は夢を持ったまま死んでいくのが夢だ」ともおっしゃった。こういう気概を持ち続ける人がいる限り、釜石から希望は絶対になくならない。
釜石は、近年の合理化による不況に限らず、艦砲射撃や津波など歴史的にも多くの失望を経験してきた街だ。かつて地方の希望の星だった明るい記憶は、かえって現状や将来の見通しを、より色濃く暗いものに感じさせたりする。
しかし、失望はけっして悪いことばかりではない。希望学を研究しながらわかってきたのは、希望が大切であるとすれば、希望がなければ失望もできないということだ。そして失望を経験してみて、はじめてわかることもある。失望を乗り越えて得た希望こそ、本当の希望である。多くの苦しい出来事を経験してきた人に特有の明快さや潔さのようなものを、私たちはこの街で出会い、話をうかがった方から感じてきた。だから、ボクたちはこの街が好きなのだと思う。
今日の中間報告会もそうだし、これから続々と刊行される釜石の歴史、現状、そして将来についての研究結果には釜石関係者の方々にとって愉快でない内容もあるかもしれない。よそ者に何がわかるかというお叱りをいただくかもしれない。希望学の釜石調査はすべて東京大学社会科学研究所の責任で行っているものであり、事実の誤認や不適切な表現などがあったとすれば、それはすべて私たち希望学プロジェクトメンバーによるものである。私たちは学ばせていただいた結果を率直にご報告申し上げる。釜石のみなさんからも忌憚のないご意見やご感想を期待している。
9月の大調査団で訪問した際、懇親会の挨拶で希望学のメンバーである橘川さんは言った。「釜石の希望は点在していて、まだつながっていない」。希望は、人と人との関係のなかにしか生まれない。大事なことは、どんなに苦しくてもパスをつなぎ続けることだと思う。そのパスを受けとめ、そして新たなパスをつなげていく人たちが、釜石の内にも外にも、必ずいるはずだ。
誰かや何かに期待するだけでなく、自分が期待される存在であると一人ひとりが自覚し、自分に出来ることを地道にやり続けること。そこに希望の輪は広がっていくのではないか。その輪のなかで、釜石にとっての「誇り」とは何であるかを決め、皆が共有する。そしてその誇りだけは、どんなことがあって失わないという志のようなものを持ち続けることだ。
釜石では「出会い」の大切さを語る多くの方にお目にかかった。釜石と希望学は、まさに一つの出会いだった。この出会いは偶然だが、今思うとそれは必然的な偶然だったように感じている。
これからもこの出会いを大切に育ててゆきたいと思っている。
東京大学社会科学研究所
希望学プロジェクトを代表して
玄田 有史
うカール
これから釜石で中間報告会、今、楽屋。
横で大堀君が、いっしょけんめい、原稿を
準備しています。
ボクはヒマなので、チップスターとソフトサラダと
ポッキーとキットカツをたべています。
明かりをつけてよ、ぼんぼりに。
近所の原石材店の早咲き桜が早満開。ちと散ってる。
明日から釜石。遠い遠野よりまだ遠いと思われている
釜石はたしかに遠いが、ゆったりとしていると実はそう
遠くない。
日経夕刊、アップですんまそん。実物よりいいよりは
いいでしょ。