http://www.utp.or.jp/topics/2009/04/30/ooeooucaaieassoaaeayeyyyuyoyeaiaie/
希望学第2巻『希望の再生』刊行
いよいよ、希望学第二巻『希望の再生』が
刊行される。
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-034192-9.html
釜石は2006年から何度訪れたか、わからない。
鉄の街として繁栄し、ラグビー七年連続日本一という偉業により、
全国にその名をとどろかせるなど、釜石はかつてまぎれもなく
「地方の希望の星」だった。釜石は現在、人口減、高齢化、
産業構造の転換など、日本に迫り来る近未来を一身に
体現している地域である。
本書と来月刊行の第三巻『希望をつなぐ』は
釜石に多くの希望学研究者が何度も赴き、
希望の再生に向けて行動する人々と対話を積み重ねた
記録だ。
〇
朝9時15分、東京駅発の東北新幹線に乗ると、
正午少し前には岩手県の新花巻へ到着、そこから
在来の釜石線「快速はまゆり」に乗り換える。
午後1時半過ぎには釜石に到着する(時刻表は2006年当時)。
映画を観るのも、会社の会議も、疲れないのは、
せいぜい長くて2時間迄というのが、せわしい近頃の世間相場だ。
釜石を最初に訪れたとき、この4時間強の電車の旅、正直、遠いと感じた。
が、不思議なことに、何度も繰り返すうち、この小旅行、長いどころか案外、
快適な時間に思えてくる。
ゆったりと朝寝を決め込む。何をすることもなく、ただ外を眺める。
すると、むしろ贅沢な時間を過ごしている気分になる。
電車の程よいスピードと相まって、日頃の心の疲れが洗い流されるような
感覚をおぼえて心地いい。
東京大学社会科学研究所(通称「東大社研」)は、
希望と社会の関係を考える希望学という研究を、2005年から始めてきた。
生活、経済、歴史、文化など様々な面から希望を実践的に考えるのに
適した地域を求めながら、2006年1月、私たちははじめて釜石に辿りついた。
そのときの印象を、同行した宇野重規は、緊張しつつ訪ねたけれど、
結局なんだかいつも「笑ってばかりいた気がする」と、当時のメモに書いている。
春先なら、釜石線や新しく開通した道路で仙人峠を越えるとき、すがすがしい
新緑が迎えてくれる。冬になると、峠から吹き下ろす風こそ冷たいものの、
雪は思いがけず少なく、町中の「呑ん兵衛横丁」あたりを千鳥足で歩いても、
寒さがむしろ気持ち良いくらいだ。だからか釜石に行くたびに、
私はいつも呑みすぎてしまう。とれたての魚や山菜など、食べものはとびきりおいしい。
でも、なんといっても、人がいい。
知り合いになった当時、新聞記者として釜石に赴任していた女性も、
任地を離れるまで「ここで嫌な思いをしたことが一度もなかった」と言った。
(『希望の再生』はしがきより抜粋)
本当の専門家は話が上手いなあ。
日本学術振興会の委託研究として
受託した通称近未来事業の柱として
雇用システムワークショップを毎月
開催している。
これが実に面白い。今年度は今週を
含めてすでに2回開催されたのだが
それぞれ熟達の専門家が集まり、
報告や議論をしている。驚くのは、
みなさんの発言が非常にわかりやすく
議論が本当に勉強になるのだ。それだけ
参加者が優れた専門的見識をお持ちだから
だろう。
ワークショップは誰でも歓迎です。どうぞ
ご関心の方は、研究者の方に限らず、
実務家の方、政策関係者、学生さんなど
ふるってお出でください。
詳しくは
http://das.iss.u-tokyo.ac.jp/future/koyou.html
貫太郎
朝の連続ドラマ「つばさ」を観ている。
もう多くの人が気づいていることだろうけれど
完全に久世光彦さんへのオマージュ(敬意)
ですね。小道具とか音響がノっている感じで
楽しい。
久世光彦さんはお書きになったものをいくつか
むかし読んだが、生前一度だけお見かけした
ことがある。藤山直美、柄本明、勘九郎(当時)
の舞台が終わった後、観客席にいてそのまま
帰られるのだろうお着物の加藤治子さん(ものすごく
お綺麗だった)を、入り口で一人待っていらした
のだった。
裏の理由
日ごろは車を運転しないのだが
ごくたまにすることがある。去年
くらいからだ。
それで運転をし終わると、きまって
右足の裏、とくに土踏まずのあたり
が痛くなる。
最初は何で痛いんだろうと思って
いたが、どうやら運転した後らしい
と最近気づいた。
元ペーパードライバー特有のもの
だろうか。以前、AT車ではなく
マニュアルを運転していた頃は
そんな記憶もないのだが。
そういえば一昨日、運転していて
はじめてラジオからRCが流れるのを
聴いた。トランジスタ・ラジオだった。