昨日は、「ラジオ版学問ノススメ」という
番組の録音。希望学について、ラクレの
内容をお話してきた。
5月14日日曜朝9時から
JFN11局(FM青森、岩手、群馬、
新潟、静岡、福井、岐阜、岡山、
香川、徳島、高知)で放送予定だそうです。
蒲田健さん、番組スタッフのみなさん、
お世話になりました。
ラジオが好きだ。以前、長野智子さんから
「(AM)ラジオは惑えるメディア」といわれた
のを、印象的におぼえている。
テレビほどの影響力はないけれど、
聞く人が聞いてくれていて、みんなで
ああかな、こうかなと決めつけず
考えられるのが、ラジオだ。
玄田ラヂオも、そんな感じをめざしてる。
ぼくはラヂオになりたい(なんだそりゃ)。
もう何年もNHK第二放送で高校講座
「現代社会」という番組の一部を担当している
のだけれど、それは一人だけでしゃべっている
ので、話し相手がいる番組は楽しい。
録音が終わった後、半蔵門のタリーズで
アイスラテを飲んでいたら、目の前に谷中修吾君が!
知らなかったんだけれど(ゴメン)、平日朝5時から8時、
FM東京で番組を担当しているそうだ。
そんなこんなで
連休もあいも変わらずラジオを聴きながら仕事してる。
はじめちゃん
『いまこの国で大人になるということ』
苅谷剛彦編・紀伊国屋書店
5月1日発売
「わからなくていいのだ」(玄田有史)
ほとんどバカボンのパパ的タイトルだな、こりゃ。
格差とは何か
最近、私にも「格差」についてのインタビュー
依頼がたまに来たりする。多分、大竹さんや
佐藤俊樹さんほどではないけれど。
ただ、「格差」というとき、最初に思いつくのは
恩師・石川経夫先生の著作『所得と富』
の次の一文。今でも、それが自分の基本だ。
○
市場の評価としての賃金の差異のすべてが、
分配上の問題をはらんだ「格差」を意味する
わけではない。人々が過去に費用と努力を投じた
教育や訓練の成果を反映した賃金の差異、あるいは
仕事の質に対する人々の趣好の差を反映した賃金の
差異は、均等化差異と呼ばれるように、まさしく無害な
格差の典型である。
さらに、人々に天賦の才として与えられた能力(芸術的
才能、運動能力、論理的思考能力、経営的才覚など)を
理由とする所得の差異は、分配上の問題を提起するする
としても、それはむしろ市場評価のレベルを超えた再分配の
対象として考慮するのが適切であろう。
市場的評価のレベルで問題とすべき「真の賃金格差」が
存在するのは、同一の能力・趣好を持ちながら同一の
所得機会に恵まれない人々のいる場合である。
労働市場の二重構造論が明確な意義をもつのは、
このように定義される格差が存在する場合である。
—『所得と富』(岩波書店、第6章、286ページ、1991年)
○
こういう本が今こそ読まれるべきだと思うが。
モーニングおじさん
今朝、モーニングショーで
「ヨコハマメリー」を観てきた。
「仕方ない」という言葉が印象的だった。
しかも悪い感じがしなかった。
ダンダダン
玄田ラヂオは、どこどこで酒を飲んだという
ことしか書いてないというのは、図星なのだが
実は、ワケあって先週から断酒続行中なのだ!
別に「!」ほどでもないのだが、気持ち的には
「!!!」くらいだ。びっくり3っ。
飲まないとその分時間があって有効に生きられそう
なものなのだが、まったくそういうようにもいかない。
どっかチカラが入らないというか、なんというか…。
ただただ久々に飲んだときの一杯を楽しみに・・・。
あれはたまらんね。