新たな希望

 ずっとあたためてきたもので
 7月末から集中してやってきた
 企画の初稿を、今日、出版社に
 送る。
 すごく苦戦するかと思って
 いたが、少なくとも原稿を書くこと
 は思いがけず、すんなりと書けた。
 今まで書いた本のなかでは、かなり
 珍しい部類だ。
 来年春くらいに本になれば
 と思っていたのだけれど、この調子で
 いけば今年中に刊行可能と編集者から
 連絡が入り、なんだかはじめて焦る。
 今回は、自分の原点に立ち返る本に
 なりそうだ。
 

昨日、真っ赤な赤とんぼをみた。

 夕方の6時前に新横浜の日産スタジアム
 のあたりを歩いていたら、同い年くらいの男女
 に(正確には女子に)、声をかけられた。
 「あのお、ここって横浜球場ですか?」
 「いや、ここは日産スタジアムですよ」
 
 「やっぱり、そうですか・・・」
 「そうです」
 「どうやったらいけますか」
 「急いで、タクシーで新横浜まで
  戻って、JR横浜線に乗って
 関内という駅までいってください。
 駅から、すぐですから(このとき
 もっと近い小机という言葉が出てこず)」
 「ああ、関内ですか(このとき、もう一人の
 男子、はじめて話す)」
 「すぐその辺でタクシー拾えますから
 (なぜか、ボクのほうが焦る)」
 「ありがとうございました
 (なぜか、二人焦ってない)」
 家に帰って調べてみたら、今日は
 横浜スタジアムで恒例のTUBEの
 コンサートだった。しかも開演時間は
 6時だった。
 二人は途中から、間に合っただろうか。
 そういえば、このあいだ、ひっくり返った
 蝉に触ったら、ぱっと起きて飛んでいった。
 みんな、がんばれ。

タイムスリップ

 出雲-羽田便の飛行機は今年
 30周年になるそうだ。出雲空港に
 垂れ幕が下がっていた。昨晩乗った
 最終便はまるで20年近く前にタイム
 スリップしたかのような飛行機だった。
 一列5席。イヤホンはない。離陸前には
 キャビンアテンダントさんというよりは
 どうみても昔のスチュワーデスの風情を
 した女性が、横で避難器具の着用などの
 ポーズ。椅子の模様も、なんとなく
 JALというより、これってむかしのTDA
 じゃない?ていう、なつかしのもの。そういえば
 出雲便は、東亜国内航空だったのだ。
 違ったのはプロペラがついていなかったこと。
 それから着陸のときもずっと電子機器である
 パソコンをやっている兄ちゃんがいたこと。
 
 それから着陸後には、バスではなく、ゲートに
 直接接続された。むかしは、だいたいバスで
 お迎えだったのだ。
 着陸後は、幼稚園、小中学校の先輩にも
 ばったり。
 なんだが、むかしづくしの不思議な3日間だった。
 

思い出し

 昨日、一昨日と、地元で
 高校と中学校の同窓会に参加する。
 30年以上ぶりに会う友だちもいて
 多いに愉快で、たくさん笑った。
 今、テレビをつけたら、吉本を普通に
 やっている。横浜ではみられない。
 そういえば、土曜の小学校が終わると
 ランボの家で、チキンラーメンを食べながら
新喜劇をみていたのを思い出す。
 土曜の半ドンが終わった午後は、多くの
 むかしの子どもにとって、幸せな思い出
 なんじゃないかな。

夏の大学

 夏の大学は、実に静かだ。
 研究室の前のビルが取り壊しになり
 工事が忙しいものの、人気(ひとけ)は
 少なく、なんだか穏やかな時間が
 過ぎていく。
 学生(大学院生)だった頃、夏休みに一日
 図書館の書庫にこもったら、研究テーマが
 みつかりますよ、といわれ、実際汗だくに
 なりながら、書庫にいたことをなつかしく
 思い出す。
 そんなことを思いつつ、8月も半ば。
 この夏にやろうと決めたことが、うまく
 進めばいいのだけれど。
 今ちょっとした原稿を書いているため
 ラヂオの更新が滞りがちで
 どーもすみまそん。