博報堂が始めた暗闇食堂。
キャーキャーいって、みんな
楽しそうだ。
暗闇では言葉が大事なんだと
NHKニュースも言っている。
ここでも人とのつながりが大事らしい。
だが、暗闇で何かを研ぎ澄ますには
静寂が必要なんじゃないのかな。
光も音もない世界でないと
見えない・聞こえないものがあるのかと
思ってた。
わからん。
2010年5月
こうして誤りは正解となっていく
「普天間の基地移設問題が
完全に煮詰まってしまった。」
この文章は、正しいか?
答えは、誤り。正解は
「普天間の基地移設問題が
完全に行き詰まってしまった。」
【煮詰まる】会議などで、議論が出尽くして、
論点が限定され問題が解決に近づく意に
用いられる。(『新明解国語辞典』より)
ただ、このあいだ、『1Q84』BOOK3を読んでいたら
おそらく文脈上は、「行き詰まる」であるはずの表現が
「煮つまる」とあった。
まったく同じ日に、ラジオを聴いていたら、敬愛する
ジョン・カビラさんが、やはり「行き詰まる」であろう表現を
「煮つまる」と話されていた。
かくして、本来の意味は次第に薄れていき、かつて誤り
とされていたものが、正解となっていく。
バスの中で
羽田から横浜行きのバスに
たまに乗る。
そのとき、いつもどうなんだろうと
思うことがある。
バスは2人席なのだが
先に来た人のなかで、隣に座られない
よう、カバンをもうひとり分の席に 置いている人がいる。
誰かが座ることを拒絶している。
往々にしてその人は
携帯電話を覗いている。
電車と違って、バスでは何かあったときに
車内を移動できない。だから警戒的になる
のは、わからないでもない。
バスの座席に、余裕があると勘違い
している人もいるのかもしれない。
これから社会がどうなるのか、
わからないが、こういう光景がこれから
減っていくことが、社会が良くなるって
ことなんじゃないかと、ふと思ったりした。
むかしは、バスの運転手さんが車内放送で
「座席にカバンなどを置かないでください」
と言っていた。将来もまた放送がされるのかもしれない。
最近は新幹線で「降りるときには、座席は元の位置に
戻しましょう」とアナウンスしている。
でも、そんな放送やアナウンスの力で変わる、
なくなれば元に戻るというのは、なんだかつまらない
気がする。
さかんに上海万博が報道され、高度成長期の日本の
ようだと懐かしがっている。でも本当は40年経っても
なにも変わっていないのかもしれない。
ミスマッチ
寝たきり老人のもとに
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