今は雪のなか。

 今年も玄田ラヂオを
 お聴きいただき、
 ありがとうございました。
 来年も引き続き
 ほとんど意味のないことを
 意味もなく書くことを基本に
 なんとなく続けばいいかな
 と思っています。
  
 よいお年をお迎えください。

ひさしぶり。

 神谷美恵子『生きがいについて』
 に次の文章を見つけ(62頁)、
 なんとなく勝手に勇気をもらう。
 現在の幸福と未来の希望と、
 どちらが人間の生きがいにとって
 大切かといえば、いうまでもなく
 希望のほうであろう。それゆえに
 高給でも将来性のない仕事ならば、
 えらばないほうがよいのである。
 将来性という観点からみれば、
 功なり名とげたというような状態は、
 かならずしもうらやむべきものではない。
 若いひとのほうが生きがい感を持ちやすい
 理由の一つは、彼らが過去という重い荷に
 制約されることなく、すべてを未来にかけて、
 わき目もふらずに何ものかを創り出そうと
 力のかぎりをかたむけうるからである。
 ○
 夜中にふとNHKをつけたら
 チャボが清志郎についてしゃべっていた。

どすこい。

 むかし、靴を別の人のと
 履きまちがえって帰った
 (しかも4日間くらい気づかなかった)
 ことのある、近所の
 ちゃんこ料理屋さんが
 今月をもって閉店。
 14年目、がんばったそうだ。
 淡々さばさばとした板長の
 態度がかえって切ない。
 一度帰ったはずの酔っぱらいの
 おじさんが、いつの間にか
 また店に戻って呑んでいた。

なんで?

 いつも携帯ラジオを持ち歩いている。
 時刻表示機能も付いている。
 腕時計も携帯電話も持たないので
 講演のときなど、時計代わりにも
 使っている。
 
 家を出て、ふと時間をみようと
 ラジオを取り出したところ、時刻
 表示がない。あれっと思ってみて
 みると、仕事部屋に据え置きの
 ラジオのリモコンだった。
 どこまでラジオだ。うける-。

いよっ。

 近所に「よつや」という
 スーパーがある。
 正式名称は
 「ロイヤル・ヨツヤ」
 である。
 
 もちろんマツコ・デラックスより
 先である。
 ただ「よつや」の駐車場の
 看板は、どうみても
 「よっや」
 である。