握手

握手は
特別な人とだけ。
これからは
そんな時代になる
のかもしれない。

ビジネスの握手も最低限
(握手直後にお互いすぐ消毒とは
いかないだろう)、
知らない人とは気楽に
握手はしないことが
社会的にも推奨される。

信頼できる人だけに
限られるシェイクハンドは
今よりは希少なものになるのだろう。

握手はマナーだけでなく
それ自体微妙な感覚が伴う。
強すぎるのは、焦っていたりとか、
気負いすぎている感じがする。
反対に弱すぎるのは、なんだか
なま生しくて、少し変な気分にもなる。
圧だけでなく、もちろん手触りからも
いろいろなことが伝わるのが
握手だった。

これからは
そのあたりの微妙なさじ加減は
どのように確認し合うのだろう。

そもそも日本ではむかしは
握手などという習慣がなかったとすれば
やはり礼(おじぎ)と伴う視線あたりが
あらたな勝負どころになるのだろうか。

一斉

昨日今日
あたりから
いろいろなことが
一斉に動き出した
実感がある。
周りも慌ただしく
なってきた。

ただそれは正月明けや
夏休み明けなどとは
また違った
あまりこれまで
経験したことのない
独特の感覚だ。

ときが経てば
この2ヵ月弱のことも
あっという間に
過去になるのだろうか。

もしかしたら
こんなにたくさんの子どもが
公園などで遊んだり
走り回っているのを
見るのも
今週でしばらく見納めかな
と思ったりした。

団結

人は不安だと
気持ちの刃をどこかに向けたくなるので、
過剰に人のことが気になったりします。

そんな時、強い絆を求めてもギスギスするばかり。
昨年は「ワンチーム」が流行語になりましたが、
一致団結を求めすぎず、
「社会も家族もゆるくつながる程度でいい」
と考えれば、ストレスも減るでしょう。

―希望に出会うヒントは「ゆるやかな絆」にある―
『婦人公論』2020年6月9日号
https://fujinkoron.jp/articles/-/2064

 

更新

労働政策研究・研修機構が
ずっと感染拡大前後の労働市場に
関する統計情報を提供していて
参考になる。
https://www.jil.go.jp/kokunai/statistics/covid-19/index.html

日々情報は更新されているのだが
更新日とあわせて
何の情報を更新したかも
そのつど示してくれると
もっと助かるのだけど。

と思ったら、
ちゃんと
「NEW」
て付いてました。
失礼しました。

今日のNEWとしては
昨年時点から既に
金属製品の売上高の
落ち込みの激しいことなどが
わかる。

その他NEWのうち
2020年3月時点では
輸入も輸出もまだ減少していないが
その後の動向が気になるところだ。
当然、雇用にも影響することになる。

 

 

偏見

今日は朝から
友人の力も借りて
今回医療従事者とその関係者等が
いわれなき偏見や差別を
受けていることがあるとすれば
その理由は何かを
考えている。

今のところ、
さしあたり理由は
3つくらい考えられるのではないか。

1.生存本能にもとづいた「見える恐怖」に対する発散
2.公的役割・存在への低い信頼から来る不満のはけ口
3.医療およびその関係者への過剰な期待に対する反動

このうち1は、今回恐怖がどこに潜んでいるか、
わからないため、日々不安を感じている人が、
目に見える恐怖の周辺にある人々(医療関係者とその家族)
を「発見」すると、それらに対して差別・偏見によって距離を
置こうとすることでつかのまの安心を得ようとする
生存本能に基づくものだ。退院された元患者や
輸送などに関わる仕事に従事する方への
心ない言動などもこれによるところが大きいように思う。
2については、日本は各種の世論調査などでは、政治、政府、
そして政治家などへの信頼が低いグループに属するといわれる。
おそらくそこには行政、官僚、公務員なども含まれる。そして
公的な役割を担う存在全般への不信感が渦巻くなか、
医療関係者もまた、民官問わず、多くが公的な仕事の従事者だと
認識されているとすれば、今回ますます信頼が低下したといわれる
政治などの公的な危機対応全般への不満の直接のはけ口(代理者)
として真っ先に厳しい状況にさらされているのかもしれない。
そこでは、政府の定めた検査体制への不満なども加わり、
結果的に憤りの矛先が医療関係者に向かっているとも考えられる。一方で、社会学の調査などからは、
医師も看護師も、職業のなかでは高い評価を得ている
仕事の一つであるのは事実だ。3は、むしろ高い評価や期待を
通常得ていることの裏返しや反動として、知識、経験、技量などを
豊富に持っているはずの医療の専門家がいる病院などで
一部がクラスターになったことへの非難となっているのかもしれない。
ただ過剰といえるほど期待されている分だけ
批判もされるというのは
ときに理不尽以外の何ものでもないだろう。

もしこれらの仮説がある程度的を得ているとすれば
解決には、不要な緊迫を適度に和らげつつ
過度に恐怖心を持たないですむ環境をつくること、
公的な取り組みについての情報共有と事後評価を
重ねつつ時間をかけて信頼を得ていくこと、
そして困難の原因を知ろうとすることで
過剰でも過小でもない期待の持ち方を身につけること
くらいだろうか。