『地域の危機・釜石の対応(4)』

小ネタは、その場所で人々が
実際に行動したり、見聞きした、
具体的な材料をもとに成り立つ。
それは地域の現在進行形の日常を感じさせる身近な話題だ。

そこには、直近の話題であると同時に、
歴史、社会、文化、慣習などのエッセンスが凝縮されている。
妻有トリエンナーレの関係者は小ネタを、
希望の種を地域に育てるための「ちいさなはなし」と表現した。
それは「喜びであれ悲しみや苦しみであれ、
他者と共感し得る小さな一人ひとりの経験智が語られたもの」という。

良質な小ネタを聞いた人には、独特な感覚が訪れる。
聞いた瞬間「わかった」というよりは「何なのだろう」と感じる。
だがそれも意味不明よりは関心を惹き立てるものだ。
訪問者は、展開を確かめるべくまた来ることを誓い、
再訪の際にはその後の行方で盛り上がる。
小ネタは、地域の現在を語る旬であり、
「現場感」を得るための有効かつ重要なツールなのだ。

それは、地域内部にも変化をもたらす。誰かが語った話題からは、
「そういえば」とか、「あそこでも」といった言葉が
地元の人々から飛び出したりする。
土地に根差した小ネタは、どこかで関連する別の動きや取り組みとつながっている。

希望再生の条件であるローカル・アイデンティティも、
小ネタが積み重なるなかで形づくられる。
アイデンティティは、有識者や専門家に説明されることはあっても、
住民に浸透したものでない限り、本当の誇りにはならない。
地域を取り巻く現状とかけがえのない特性の両方が垣間見える小ネタが連結し、
アイデンティティは再構築される。

内外のネットワークの形成にもそれはかかわる。
ネットワークといっても、肝は結局、何が語られるかだ。
壮大な目標もなくはないが、実際の話題はもっぱら日頃の小ネタである。
何気ない話題がきっかけとなり、内外の交流は持続する。

良質な関係人口とは
「ビジネスライクではなく、相手のために無償で時間を使うことが
苦にならない関係であり、個人の価値観、文化風習、地元愛といった
小さな波動を共有できる関係」とも言われる。
この小さな波動こそ、小ネタの核心である。
小ネタが続くかぎり、ネットワークは保たれる。
反対に波動が途絶え、語ることがなくなれば、ネットワークは瞬時に廃れる。

小ネタはきっかけであり、ささやかな兆し(証拠)と述べた。
証拠といっても、完璧な事実である必要はない。どちらかといえば、
事実と願望(虚構)の境界を行ったり来たりする話だ。
実のところ、虚構に近い方がむしろリアルに聞こえたりもする 。
そこに含まれるユーモアが、地域の現実を簡潔に指摘すると同時に、
人々が何を本気で望み、何を望んでいないかという真実を如実に反映するからだろう。

一般にネタは、事実でなく「作り話(ガセネタ)」を意味することがある。
「それってネタでしょう」という反応は、
裏付けが微妙なフィクションであることを指摘する。
事実、そこには「こうであってほしい」という、既成事実に抗おうとする、
ささやかな異議申し立てや、密かな行動にまつわる話が含まれもする。
それが誰かの心に響き、新たな話題につながることで、
変化を生む希望の共有は、現実となっていく。

小ネタは、地域の希望を再生する3条件とそのための対話の礎になのだ。

(続く)

東大社研・中村尚史・玄田有史編、東京大学出版会
『地域の危機・釜石の対応 多層化する構造』より
http://www.utp.or.jp/book/b508909.html
2020年6月30日発売