ばってん荒川

 熊本に行ってきました。
 北九州予備校主催の講演会で
 高校の先生方とお話し、米焼酎を
 飲んで帰ってきました。芋も好きですが
 米も好きです。焼酎は、うまく水にあわすと
 むしろ味が濃くしまって美味しくなる気が
 しません?(誰に訊いてる??)
 昨日もそうでしたが、
 「自分の日頃感じていることと同じ」
 と言っていただけるのは、とても嬉しいし
 心強いです。「常識」自体は
 疑うものだと思いますし、だからこそ
 データなどを用いた研究を仕事にしています。
 でも、実務の方の実感からあまりにかけ離れた
 主張は、改めて考えてみる必要があると私は
 思っています。特に「働く」ということについては。
 帰りに「サンボマスターは君に語りかける」
 を買いました。はじめてRCの「シングルマン」
 を聴いたときのようです。

快晴の日曜

 日曜、福生に行ってきました。
 青少年自立援助センターが新しい
 建物に引越しをして、そのお披露目
 があったからです。乾杯してきました。
 久々に寄宿型支援団体の三巨頭のうち
 愚直派の川又さんと久々に飲みました。
 もう一人の巨頭である工藤さん(啓ではなく
 タメさんの方)は、さすが社会派だけあって
 毎回のように「ちゃんとした支援がされなければ
 それが将来どれだけのコストになって社会に
 跳ね返るか、計算をして示すのが、ゲンダさんの仕事、
 怠けてるぞ」といつも言われます。今回も言われました。
 こういう実際を知る方の建設的なご意見、ご批判はとても
 有り難いものです(もうひとりの巨頭は、人生派の和田さん)。
 それにしても支援というとなぜ、すぐ「甘やかしている」と
 なるのか、不思議でなりません。土曜のNHK番組でも
 宮本(みち子)さんが一人反論されていましたが、おっしゃる 
 とおりだと思いました。甘やかすだけでなんとなかなるんなら
 支援なんか簡単だ、という実際の現場の声が聞こえてきそうです。
 
  

『働く過剰』(5)

 
 ニートを含めて若者全体について、
本当にコミュニケーション能力が低下
しているかどうかは、わからないと私は
思っている。むしろ幼少の頃から身の回りに
陰湿ないじめの存在などがあり、そのなかで
目立たぬよう、攻撃の対象とならぬよう、
意識的、無意識的に、人間関係に対して
実に繊細な気づかいをしてきた若者は、
見方によってはきわめてコミュニケーション
能力が高いともいえる。そんな努力を
積み重ねた上に、社会や企業では
もっとコミュニケーション能力が必要という声に、
若者はもう疲れてしまっているのだ。
 
 それに企業社会などで、若者にコミュニケーション能力が
ないと大人が嘆くのも、大人が自分に理解できない若者を
コミュニケーション能力という流行語で表現している
面もある。どんな時代であれ、大人は自分の価値基準
では理解できない若者を「通じない存在」として、
自分に理解できないという理由で、能力が低いと
みなしがちだ。だとすれば、大人と若者のうち、
コミュニケーション能力が本当に低いのは
どちらかといった問題ではなく、異なる世代が
理解し合うのには、いつの時代も限界がある
という当たり前の事実だけが残ることになる。
(第十章「親と子どものあいだには」より)

『働く過剰』(4)

 
 ニートの増加は、これから社会にどんな影響を
およぼすことになるのだろうか。労働力人口の減少
にも拍車がかかるだろうし、社会保障制度の担い手が
足りなくなるかもしれない。しかし、経済成長や年金制度の
維持を目的にニート解消を目指すというのは、本末顛倒だ。
「社会のために働け」「働かざるもの食うべからず」と言われて
働き出すニートはどこにもいない。それは少子化に歯止めを
かけるために出産を決意する女性がいないのと同じだ。
(第五章「ニート、フリーターの何が問題なのか」より)

『働く過剰』(3)

 長すぎず、かといって短すぎず、
たとえば週50時間程度の「ほどほど」に働くことが、
30代男性サラリーマンにとって一番仕事の満足感を
得やすかったリ、適度な時間のなかで能力開発を促進する。
個人にとっての成長機会と満足度、企業にとっての人事管理や
事業変革などを両立できるための、長すぎない、かといって
短いだけではない、適度な労働時間をどのように実現できるか。
そのさじ加減を、これからもっと真剣に考えていくべきではないだろうか。
(「第三章 長時間労働と本当の弊害」より)