着陸不能

 昨日、今日と、大阪の伊丹空港を
 利用する。関西方面の出張は、
 もっぱら新横浜から新幹線だけに
 伊丹はめずらしい。たぶん数年ぶりだ。
 その数年ぶりが印象深い。というのは
 そのときも伊丹に行く予定ではなかった。
 その日、松江で村上龍さんと対談のイベント
 があり、出雲空港に降り立つはずが、視界
 不良で降りられず、結局、伊丹に着陸した
 のだ。
 
 問題は、それからだ。時間にしてたしか3時半
 すぎ。開会は6時半から(村上さんは米子空港 
 経由で会場入りしていた)。そこで、半分絶望的
 な気分のなかで、空港からまず新大阪までタクシー、
 そこから岡山まで行き、結局、岡山から松江まで
 またタクシー。運転手さんの心意気もあって、結局
 会場に到着したのは、開会の5分前だった。
 だから伊丹はドキドキの思い出が残っている。
 そんなことを思っていたら、今日は今日で、羽田が
 天候不順で、利用する飛行機が到着していないという。
 結局、1時間以上遅れで離陸。それまで修学旅行中
 とおぼしき高校生たちと、搭乗口の前でただただ
 だらーっとする。
 伊丹は、自分にとって天候不順な思い出だ。

それでいいのか。

 識らないで評価することは罪だ。
 自分が識らないことの自覚もなく
 勢いで判断することは愚かだ。
 その愚行は歴史が必ず判断するが 
 彼らが生きている間に罰せられることは
 ない。
 人の世界の愚かさを思う。 
 

報告

 「たいへんなときにニューヨークにいましたね」
 と先週、結構、メールをいただいた。
 
 ただ、正確に説明すると、同じニューヨーク州でも 
 コーネル大学のあるイサカという大学街に、ヤンキース
 の優勝当時やパレードのときは、いた。だから瞬間は
 すべてテレビでみた。松井が活躍していた瞬間も
 大学の人たちと懇親会(打ち上げ?およびなんと
 初のアメリカ・カラオケ!!)をしていたので、ライブでは
 みていない。
 優勝の決まった瞬間は、12時頃でパブで
 ひとり観ていた。周りでは叫んでいるヤンキースファンと
 叫んでいるフィリーズファンがいた。ボクはさけばなかった。
 イサカは、とてもおだやかな大学街だ。自然に恵まれていて
 多くの議論が刺激的だった。911以降、ニューヨークシティから
 移住してきた人も多いらしい。
 私はカープファンであるけれど、同時にレッドソックスファンだ。
 理由は、1995年にはじめてアメリカに長期滞在したのが、
 ボストン(正確には隣のケンブリッジ)で、その期間、実に
 頻繁にレッドソックスの本拠地である、フェンウェイパークに 
 足繁く通ったからだ。
 当時のレッドソックスは、ピッチャーは
 クレメンスがいたり、今も投げているナックルのウェイクフィールド
 がいた。バッターは、4番は、モー・ボーンだった。弱かったからか
 チケットは、すぐに手に入った。生でみて印象的だったのは、たしか
 当時マリナーズにいたケン・グリフィー・Jrだ。なつかしい。
 だから、今回この時期に、ニューヨークにいたものの、ちょっと複雑な
 気分だった、というのが、率直なところでした。
 以上、ニューヨーク通信、終わり。

プリーズ友の会

 ひとり呑み友の会・イン・ニューヨークシティ。
 パブをほっつき歩く。ビールが日本で呑むより
 2,3割方安い。ただ、サントリーのプレミアム
 モルツなどがドラフトであれば、十分勝負できる。
 流通かなにかでむずかしいのだろうか。私は
 黒ラベルが個人のベストだが、この良さはわかるまい。
 日本のビールメーカーのみなさん、日本人が
 ビールを呑まないのなら、海外で呑んでもらいましょうよ
 (私は日本で呑みますよ)。世界中でおいしい日本の
 生ビールが呑める日を、21世期中に実現してください。
 お願いします。
 つまみを頼むなら、カラマリもしくは、
 バファローウィングで十分だ。日本でも
 もっとあればいいのにな。
 さんざん呑んだ最後のお店で、バーテンの兄さんから
 注文するときには、プリーズを着けるようにと、注意を
 されました。おっしゃるとおりだ。
 ひとり呑み友の会の会員のみなさん、お酒を注文する
 ときには、どんなに酔っぱらっていても「お願い(します)」
 「プリーズ」をつけるようにしましょうね。

チャリ

  今、ニューヨークにいる。
 コーネル大学に来ている。
 お世話になったみなさん、
 どうもありがとう。楽しかったです。
 テレビでワールドシリーズ
 をさっきまで観ていたけれど
 一番心が揺さぶられたのは 
 フィリーズのマニュエル監督が、
 涙声でインタビューに、でもつとめて
 冷静に言葉を選んで応えていたこと。
 すばらしかった。
 チャーリー、あんたは素敵だ。この中継、
 日本では多分、観られなかった光景。
 
 カープが好きだけれど、近鉄とヤクルトの
 あなたも好きだった。ヒルトンも好きだった。
 当時、まったく融通の利かない感じだった
 あなたは、今や機微に通じた名監督だ。
 フィリーズの選手は、野球に長けていたと
 思う。
 パブでみていた松井は、もちろん、輝いてみえた。
 最後のマウンドで集まったとき、55番の背中って
 こんなに大きかったっけ?と思った。解き放たれた
 のだろう。ジータの後姿にみた〇〇にも、同じ感動
 を覚えた。スポーツって、なんなんだろう。
 
 それにしても、ただ、昭和50年カープ初優勝の2番で
 その後、名監督でもあった、三村さんのご逝去の一報は、
 ただひたすら悲しかった。
 カープも、必ず復活する。きっと。