昨日のラヂオで、支援を支緩と間違えたという話を
しました。その件について、リスナーさんから、
心優しいお便りをいただきました。
たしかに通常、ゆるむ、ゆるめるという言葉には、
緩という漢字が使われます。ただ、緩も、援も、語源的には
同じ意味で、ゆるめると読むというのだそうです。
そもそも援には、ゆるめるのを手助けするという意味があり、
緩めるは糸がもつれたような状態をゆるめるということで
解きほぐすということでは、本来違いはない、とのこと。
シエンするというのも、手取り足取り手助けするというよりも
自分のなかで縺れてしまった糸をゆっくりほぐしていく作業
であるのかもしれませんね。その意味では、支緩というのも
むしろ本来の姿なのでしょう。
とーっても勉強になりました。
ありがとうございました。
やっちゃった。
昨日は、「若者の人間力を高めるための国民会議」 のキックオフイベント
というのに参加してきました。名称にはいろいろご意見もあるでしょうが
まあ、・・・、よしなに。
昨日は「支援」についてのパネルで司会をしたんですが、パネラーの一人で
声優の古谷徹さんの生アムロや生飛雄馬には、ジーーンと来ました。
そのなかで、私はなぜか突然思いつき、
「支援」というのは、「緩(ゆる)く支える」ことだと
力説していました。お客さんもポッーと聞いていらっしゃいました。
んっ、待てよ。支援は、「緩」ではなくて、「援」じゃん。ゆるくないじゃん。
しまった。お客さんは????と聞いていたのだ。
まいったなー。でも、しょうががないね。
支援には、ゆるさも必要だし。
へへ。
GR
ばってん荒川
熊本に行ってきました。
北九州予備校主催の講演会で
高校の先生方とお話し、米焼酎を
飲んで帰ってきました。芋も好きですが
米も好きです。焼酎は、うまく水にあわすと
むしろ味が濃くしまって美味しくなる気が
しません?(誰に訊いてる??)
昨日もそうでしたが、
「自分の日頃感じていることと同じ」
と言っていただけるのは、とても嬉しいし
心強いです。「常識」自体は
疑うものだと思いますし、だからこそ
データなどを用いた研究を仕事にしています。
でも、実務の方の実感からあまりにかけ離れた
主張は、改めて考えてみる必要があると私は
思っています。特に「働く」ということについては。
帰りに「サンボマスターは君に語りかける」
を買いました。はじめてRCの「シングルマン」
を聴いたときのようです。
快晴の日曜
日曜、福生に行ってきました。
青少年自立援助センターが新しい
建物に引越しをして、そのお披露目
があったからです。乾杯してきました。
久々に寄宿型支援団体の三巨頭のうち
愚直派の川又さんと久々に飲みました。
もう一人の巨頭である工藤さん(啓ではなく
タメさんの方)は、さすが社会派だけあって
毎回のように「ちゃんとした支援がされなければ
それが将来どれだけのコストになって社会に
跳ね返るか、計算をして示すのが、ゲンダさんの仕事、
怠けてるぞ」といつも言われます。今回も言われました。
こういう実際を知る方の建設的なご意見、ご批判はとても
有り難いものです(もうひとりの巨頭は、人生派の和田さん)。
それにしても支援というとなぜ、すぐ「甘やかしている」と
なるのか、不思議でなりません。土曜のNHK番組でも
宮本(みち子)さんが一人反論されていましたが、おっしゃる
とおりだと思いました。甘やかすだけでなんとなかなるんなら
支援なんか簡単だ、という実際の現場の声が聞こえてきそうです。