この週末。

土曜の朝はせっせと大根を掘りました。
夜には高校の同窓会でせっせと
飲みました。フラフラしてたら
知り合いの江淵君にばったり会って
ビールをごちそうになりました。
日曜の昼は山下達郎のラジオをきいてたら
いつの間にか寝てました。

あと一週間。

いよいよ、来週が希望学宣言の
シンポジウムと迫り、毎日
バタバタしています。
先月末に書き上げるはずの論文が
まだ2本、出来ていません。
・・・、ユウジです。
シンポもそうですが、これから 
希望サロンの企画もあり、今日も
場所さがし。同僚の尚さんと
今日は金魚やさんに行ってきました。
これが素晴らしかった。料理もお酒も
コーヒーも最高。むかし金魚が泳いで 
いたフロアで、私も泳ぎました。
サロンの場所は、落ち着いてちょっと
意外感ですね。
では、みなさん、よい週末を。

ご質問に答えて。

コメントをいただいた方、どうもありがとう 
ございました。
ラヂオなので、リクエストやご意見は、何は
ともあれ、とてもありがたいものです。
これから、いただいたご意見には
できるだけ、お答えしていくつもりです。
まず、テレビへの出演について。今でも
原則としては、テレビには出ない方針は
変わりません。テレビに出ることで良い
ことは、研究者としては基本的に何も
ないと思います。
でも、いろいろと状況の
変化もあって、次のようなときには
出演を考えています。
1)自分のなかにテレビでどうしても伝えないと
  いけないと思うことがあること
2)製作サイドが信頼できること
3)一般的な内容へのコメンテータではないこと
4)本務の一つであること
5)その他
です。
だから、中学生の一週間の職業体験、ジョブ・カフェ、
自立塾など、その意義を広く知ってもらいたいと思って
出演したことは、あります。
 
それから、希望学について。希望学では
希望や夢を持ちましょうとか、
希望がないのはけしからんとか、
そんなことは目指していません。
 
だから希望を持っている人が幸福感が強かったとしても
それで希望を持つことは必要ですといった主張をするの
ではなく、だとすれば
希望を持つことが、どのような個人の行動や社会との関係
の変化を生み、それによって個人の充足感や効用がどのように
変わり得るのかを、事実として明らかにしたいのです。
希望学がめざすのは、希望の信念ではなく、希望についての
事実なのです。
今までもそうですし、今でも
『若者よ、希望を持て』
といったことはないと思います。
希望学について話すと、まだまだ硬いですね。
もっとわかりやすいものになるように、努力しまーす。

1年。

『ニート』(幻冬舎)の初版が刊行されたのが
去年の7月10日。
それから本当にいろいろなことがめまぐるしく
起こった。いろいろ言われたりもした。けど、
それ以上にいろいろ応援もいただいりした。
そして、いろいろな新しい仲間に出会えたのは、
何よりもの財産だ。
そんな大切な友人の力も借りて、同じ
7月10日に『子どもがニートになったなら』
(NHK生活人新書)という共著を出す。
これも何かの縁だと思う。

違う

経済的に豊かでなければ希望が持てない?
世の中、そんなに単純には出来てない。
それにしても希望を考えようとすることへの
批判は、いつもステレオタイプで陰気だ。