初物

今日は
はじめての
オンラインで
高校と中学での講演。

今まで支社などを一部
オンラインでつないで
会社で講演というのは
あったけれど、全面
オンラインは本当に初の経験だ。

回線が突然切れるなど、
万が一のときのために
(前例があるので)
担当の先生に
先生の携帯番号を事前に
オンラインで訊いていたら、
その番号が実は
生徒さんに丸聞こえだったり
(「大丈夫です」と笑っておっしゃって
くださったS先生、すみませんでした!)、
そもそも今日の大雨と土砂などの災害懸念で、
生徒さんが学校に来れずに中止になるのではないかと
やきもきもしたりしたが、
時間どおりにスタート。

しゃべっている最中は
生徒さんの表情がみえなくて
多少不安もあったが、
かわりに全体司会のN君が
ノートを取りながら
真剣に聞いてくれている姿が
ときおり見えていたので、
とても心強かった。
N君、ありがとう!

質問コーナーでも
たくさん意見を出してもらい、
いつものようにたじろき
しどろもどろしながら、
なんとか言葉をつむぎ出す。
まさにM状態。

それぞれの質問には
背景や理由があることを
あらためて感じる。

終わってみれば
あっという間の1時間ちょっと。
しいていえば、中継ありの
生放送のラジオという感じか。

心残りは、
現地で関係者と乾杯の
打ち上げができなかった
ことくらいなのだけれど、
こちらは当面おあずけで
またのお楽しみということで。

ご協力をいただいた
先生方、生徒さん、関係者の方、
みなさまに心より感謝しています。
ありがとうございました。

孤独

10代の頃、
ラジオかテレビの影響か
わからないが、
頭というか耳から
離れない歌が
結構あった。
それだけ歌に力が
あったのだろう。
というか、
歌しかなかったのかも。

そういうことは
最近あまりないな
と思っていたところ、
結構、今あたまのなかに
よく響いているのは
コレ。

https://www.youtube.com/watch?v=oQX53S_o9KM
https://www.youtube.com/watch?v=M_haJVZiS74

GORO
INOKASHIRA

視野

今朝も
テレビを
観ていたら
オリエンタルランドの
加賀見俊夫会長が
マスクをして
インタビューに答えていらした。

加賀見さんには
むかし、とある研究会で
ご一緒し、
たいへんお世話になり、
かつとてもよくしていただいた。

インタビューのなかで
ディズニーリゾートは
「平和産業」であることや
接触が基本であること、
これまでなんども危機にさらされてきた
ことなど、短い時間だったが
印象的な話をたくさんされていた。

その上で今後を語られる内容で
印象的だったのは、
ひとことふたこと
つぶやかれた
「アイコンタクト」
という言葉だった。

ソーシャルディスタンスだとか
物理的なコンタクトはむずかしかったり
距離は多少離れていたとしても、
アイコンタクトはできる。むしろ
離れているからこそ
これからはアイコンタクトがますます
大事になる。そんなお話しだった気がする。

それは舞浜で大切なのではなく、
どこであってもそうなのでないかと
思って、朝から腑に落ちた。

たとえば、スポーツでも、
良いプレーの背後にあるのは、
きまって多くの場合、
アイコンタクトだ。
即興でうまくいくチームには
信頼に裏打ちされたアイコンタクトがある。

以前、中学生の1週間にわたる
地域体験(トライやる・ウィーク)について
神戸で情報収集のようなことをしていたとき、
先生が、体験中の子どもたちが大人から
「目でほめられる」
ことで自信を持ったり、大きく成長すると
言われたのも思い出した。それは緊張を和らげる
アイコンタクトならでは、だろう。

マスクの上からのアイコンタクトは、
これからの新しいつながりの時代の
古くてそして新しい
大切な取り組みなのかもしれない。

オンラインの会議などでも
上手にコミュニケーションしている人たちの間では
アイコンタクトも、
うまくやっているような気がする。

たしかにアイコンタクトには
通常、読み取りなどの集中が必要とされたり、
視線を注ぎ続ける努力なども求められることも多い。

それはそれで
もちろん大切なのだろうが
もう少しゆるくて風通しのよい
アイコンタクトもあっていい。

視線とか視点とかいうが、
点や線は、結構つかれる。
これからの視野は
視面くらいでもいいのではないか。

集中しすぎず周囲を広めに見渡しながら
たまたま目に入ってくる偶然なども大切にしつつ、
そのなかで、なにかいいことがあったら
目でお互い感謝したり、支えあったりする。

アイコンタクトが
物理的に不可能なはずの
ラジオは、そう考えると
どことなくアイコンタクトに
通じる感じがする。
それは、遠からず近からず
ゆるく「投げかける」「受けとめる」
の関係性が、どこかで
似ているからかもしれない。

アイコンタクトって
面白いなと思った。

差別

今朝早く
テレビで
ドキュメンタリーを
何気なく
みていた。

そこでは
過去に
理不尽な差別を
長く受け、
壮絶な人生を
歩まれてきた方が、
そのことに対して
「憎む」や
「恨む」など
の言葉をあえて使うことなく、
しぼり出すようにして
ただ
「悔しい」
と話をされていた。

とてつもない
ことだと思った。

 

2020年5月の労働市場(5)

これまで
2020年5月の
労働市場の動向を
見てきた。

非労働力人口、
休業者、
短時間就業者など、
かつてない激動を示した
4月の状況から、
すこしずつ元への
軌道修正が見られつつあるのが
5月の動きといえる。

そのとき気を付けるべきは
労働市場の動向の底流には
多くの場合、
双方向の流れが広く共存している
ということを忘れないことだろう。

それはどういうことなのか。

総務省統計局「労働力調査」に
2020年4月と5月の両方に調査協力した
回答者の状況からふたたび考えてみる。

そこでは4月には非労働力人口だったのが
働き止めなどを終え5月になって仕事を開始し
就業者となった人々が、98万人存在していた。
一方、逆方向の動きとして、
4月には就業者として働いていたのが
諸般の事情から仕事を断念し非労働力人口になった人々が
76万人も、5月時点では同時に存在していた。

結果だけみると、非労働力から就業者への
差し引き22(=98-76)万人のシフトが生じたわけだが、
(それだけでも十分に大きいのだが)
その背後には色々な状況が交錯しながら、
実にのべ174(=98+76)万人にも及ぶ人々の働く状況の変化が
あったことになる。

同様のことは5月に増加の兆しが強まった
失業者の動向にもあてはまる。
4月から5月にかけて雇い止めの影響なども受けて
就業者から完全失業者へと
3万人ほど移動した結果となっている。
だが実際には、就業者から完全失業者に移行した
人々は24万人に達しており、
反対に失業者から就業者に移行した人々が
21万人いたため、
結果的に差し引き3万人と比較的小さな変化に
とどまっているようにみえただけなのだ。

同じく非労働力人口から職探しを始めて
失業者になった人が24万人いた一方で、
それまで失業状態だったのが働くのを断念して
非労働力となった人々が、
別のところで21万人も存在している。

労働市場では、多くの場合、
一方通行ではなく、背後には双方向の
動きがあることを、状況を解釈する際には
注意しなければならない。一方的な
動きだけだと、決めつけてはいけないのだ。

それは、非正規から正規への移行についても
あてはまる。しばしば非正社員は正社員に
なることはできない、といったような
強い説明や解釈がなされることがある。

しかし2020年4月に非正規の職員・従業員
だった人のうち、5月に正規の職員・従業員
となっていた人は、実のところ、51万人に達している。
一方で正社員から非正社員に移行していた人も
52万人に及んでいたため、差し引きだけで
みると、正規と非正規の構成はほとんど変わって
いないか、若干非正規が増えたように見えてしまうのだ。

実際には、総じてのべ100万人にも及ぶ正規と非正規の
雇用形態の変化をめぐるダイナミズムが
一か月という短い期間でも生じている
のが、労働市場の実際だ。

このようなダイナミズムは、今回さらに
拡大している。就業者数、失業者数、非労働力人口など
のそれぞれの動き(フロー)をみると、その数は
前年の2019年の4月から5月の動きよりも、
おしなべて拡大している。

その意味でも双方向でも激動の
真っ最中にあるのが、
2020年5月の労働市場の特徴といえるだろう。