『地域の危機・釜石の対応(5)』

小ネタの対極にあるのが、大ネタだ。
そこには、成果を実現するための
豊富な材料があり、大がかりな仕掛けが伴う。
大ネタの多くは、有名な歴史、文化、産業、自然などを頼りに、
経済の活性化や関係人口の拡大、あわよくば
定住人口の増加が目指される。

近年の地方創生に限らず、地域振興では
大がかりな開発型政策がずっと主流だった。
全く新しい価値を創造すべく、
改革という名の大ネタ主義的な開発に
地方は突き進んだ。同時に、
すぐに大きな成果に直結しない小ネタは、
その価値をあまり意識されることもなく、
多くが放置されたままでいた。

大ネタには、多くの人を巻き込むため、
きまって固有の「ストーリー(物語)」や
「ビッグピクチャー(全体像)」が必要とされる。
目に見える結果も常に期待されている。

さらに大ネタは、きまってその特徴として、
実行に人手と時間と経費が相当程度かかる。
実現には、予算を確保すべく自治体が
中心的な役割を担うことになる。
だが、ずっと奔走し続けることは難しく、
関係者もいつかは疲弊し、
途中での変更を迫られる事態も生じたりする。

仮に最後までやり遂げられたとしても、
大ネタには、明確なオチが不可欠である。
大規模な事業計画には期限があり、終わりがある。
幕が下りてしまうと、熱気はあっという間に
記憶の彼方に遠のいていく。
活性化を取り戻そうとふたたび夢見れば、
新しい大ネタを求めざるを得ない。

結局、一時の盛り上がりのため、
大掛かりな苦労を延々と続けることになる。
しかし、人員も予算も余裕も切り詰められていくなか、
大規模な開発主義は限界を迎えている。
にもかかわらず、活性化という呪縛のもと、
大ネタから脱却し、新たな方向へかじ取りが
できないままなのが、多くの地域の現状だろう。

それに対し、小ネタの特徴は、なんといっても
人手も時間もお金もそれほどかからないことだ。
「誰でも、どこでも、いつでも」
つくろうと思えばつくれる。それが小ネタだ。

その主体は、行政ではなく、
あくまで個々の住民である。
小ネタは「個ネタ」でもある。
住民は、生活のなかに小ネタにつながる
きっかけを元々持っている。
そのうち、住民同士の間で広がり、
ついには全体を巻き込む大ネタへと
「化ける」こともある。
それも行政がすべてお膳立てしたものではなく、
住民主体の小ネタが結実した結果としての大ネタだ。
成功したB級グルメなど、小ネタ発祥の典型だろう。

必要なのは、無理なストーリーを作り、
やみくもに仕掛けることでない。
小ネタの自然な集積により、地域の本当のストーリーは
浮かび上がる。魅力あるストーリーは、
小ネタの積み重ねから生まれる。
今こそ、大ネタさえあれば活性化できるという呪縛から、
脱するときなのだ。

(続く)

東大社研・中村尚史・玄田有史編、東京大学出版会
『地域の危機・釜石の対応 多層化する構造』より
http://www.utp.or.jp/book/b508909.html
2020年月6月30日発売

『地域の危機・釜石の対応(4)』

小ネタは、その場所で人々が
実際に行動したり、見聞きした、
具体的な材料をもとに成り立つ。
それは地域の現在進行形の日常を感じさせる身近な話題だ。

そこには、直近の話題であると同時に、
歴史、社会、文化、慣習などのエッセンスが凝縮されている。
妻有トリエンナーレの関係者は小ネタを、
希望の種を地域に育てるための「ちいさなはなし」と表現した。
それは「喜びであれ悲しみや苦しみであれ、
他者と共感し得る小さな一人ひとりの経験智が語られたもの」という。

良質な小ネタを聞いた人には、独特な感覚が訪れる。
聞いた瞬間「わかった」というよりは「何なのだろう」と感じる。
だがそれも意味不明よりは関心を惹き立てるものだ。
訪問者は、展開を確かめるべくまた来ることを誓い、
再訪の際にはその後の行方で盛り上がる。
小ネタは、地域の現在を語る旬であり、
「現場感」を得るための有効かつ重要なツールなのだ。

それは、地域内部にも変化をもたらす。誰かが語った話題からは、
「そういえば」とか、「あそこでも」といった言葉が
地元の人々から飛び出したりする。
土地に根差した小ネタは、どこかで関連する別の動きや取り組みとつながっている。

希望再生の条件であるローカル・アイデンティティも、
小ネタが積み重なるなかで形づくられる。
アイデンティティは、有識者や専門家に説明されることはあっても、
住民に浸透したものでない限り、本当の誇りにはならない。
地域を取り巻く現状とかけがえのない特性の両方が垣間見える小ネタが連結し、
アイデンティティは再構築される。

内外のネットワークの形成にもそれはかかわる。
ネットワークといっても、肝は結局、何が語られるかだ。
壮大な目標もなくはないが、実際の話題はもっぱら日頃の小ネタである。
何気ない話題がきっかけとなり、内外の交流は持続する。

良質な関係人口とは
「ビジネスライクではなく、相手のために無償で時間を使うことが
苦にならない関係であり、個人の価値観、文化風習、地元愛といった
小さな波動を共有できる関係」とも言われる。
この小さな波動こそ、小ネタの核心である。
小ネタが続くかぎり、ネットワークは保たれる。
反対に波動が途絶え、語ることがなくなれば、ネットワークは瞬時に廃れる。

小ネタはきっかけであり、ささやかな兆し(証拠)と述べた。
証拠といっても、完璧な事実である必要はない。どちらかといえば、
事実と願望(虚構)の境界を行ったり来たりする話だ。
実のところ、虚構に近い方がむしろリアルに聞こえたりもする 。
そこに含まれるユーモアが、地域の現実を簡潔に指摘すると同時に、
人々が何を本気で望み、何を望んでいないかという真実を如実に反映するからだろう。

一般にネタは、事実でなく「作り話(ガセネタ)」を意味することがある。
「それってネタでしょう」という反応は、
裏付けが微妙なフィクションであることを指摘する。
事実、そこには「こうであってほしい」という、既成事実に抗おうとする、
ささやかな異議申し立てや、密かな行動にまつわる話が含まれもする。
それが誰かの心に響き、新たな話題につながることで、
変化を生む希望の共有は、現実となっていく。

小ネタは、地域の希望を再生する3条件とそのための対話の礎になのだ。

(続く)

東大社研・中村尚史・玄田有史編、東京大学出版会
『地域の危機・釜石の対応 多層化する構造』より
http://www.utp.or.jp/book/b508909.html
2020年6月30日発売

 

『地域の危機・釜石の対応(3)』

ネタとは何か。
『広辞苑』によると
「ねた(ネタ)」とは
「たね(種)を逆さ読みにした隠語」
だという。

その上で
「①新聞記事などの材料、
②犯罪の証拠、
③道具、特に手品などの仕掛け、
④料理などの材料」と説明する。
公益社団法人・落語芸術協会作成の用語集では、
ネタとは「演芸の題名。根多とも書く」とある。
名人にしか許されない難易度の高い演目は大ネタと呼ばれる。

ここでは、小ネタをひとまず
「ちょっとしたきっかけ(材料・仕掛け)と、
そこから生まれつつあるささやかな兆し(証拠)」
としておきたい。

それは誰もが扱おうと思えば扱える小さな話題である。
観光案内に登場する遺構や偉人の話そのものは、
地域を代表する大ネタであっても、
歴史と現状を日常語で語る小ネタとは一線を画する。
小ネタは、人と人とが交わす些細な会話の中にこそ多い。

民俗学者の宮本常一は
「一人一人の一見平凡に見える人にも、それぞれ耳をかたむけ、
また心をとどろかすような歴史があるのである。そしてそれを通して
世の中の動きをとらえることもできるのではないかと思った」と言った。
小ネタは、市井の人が語る、地域の動きを感じる、ふっとではあるが、
それでも確かなイメージを喚起させる言葉である。

小ネタは、きっかけや兆しである以上、完結していないのが通常だ。
明確な「オチ(結論)」がないのは特徴でもある。
語り終わった途端「だから何?」という微妙な反応も少なくない。
何かの教訓を期待した人からすれば、肩透かしを食らった印象すらある。
中身も聞く人により捉え方は異なったりする。

だが、いっけん無謀(?)と思えなくもない事に、どこか理由や確信もあり、
懸命に挑み続ける人々の姿が目に浮かぶのは、余韻を残す小ネタに共通する。

山内道雄海士町前町長は「海士町は成功事例ではなく挑戦事例」と言う。
小さな挑戦事例も小ネタの相応しい表現だ。それは小さな実験の数々、
それによる多くの失敗とごくたまの成功という意味もある

そこには成功譚の痛快さもなければ、えげつない誹謗中傷もない。
一方、美辞麗句でない、行政、名士、成功者へのパンチの効いた
風刺や諧謔も小ネタの醍醐味である。そして、きまって
「また聞きたい」「先が知りたい」といった気持ちにさせる
何かがある。聞いた人は忘れられず、どこかムズムズした気持ちになる。

小ネタという種を撒くのは、その土地の人々である。
土地をよく知る人が撒く種だからこそ、地域固有の
絶妙な作物や花も実るのだ。

(続く)

 東大社研・中村尚史・玄田有史編、東京大学出版会
『地域の危機・釜石の対応 多層化する構造』より
http://www.utp.or.jp/book/b508909.html
2020年6月30日発売

『地域の危機・釜石の対応(2)』

釜石や福井を含む、さまざまな魅力を持つ
国内の地域をたずねてきた。
それらの訪問を通じて辿りついた仮説が、
これだった。

「人口が減っても、地域はそう簡単になくならない。
だが、小ネタが尽きると、あっという間に地域は衰退していく」。

言い換えれば、
小ネタが尽きない限り地域は持続する。
小ネタこそ、衰退という危機を回避し、
未来を創造する要素なのである。

小ネタなどと言うと、
あまりにカジュアル(気軽)な用語のため、
学術にそぐわないという批判もあるかもしれない。
だが、その言葉による発見を各地で話すと、
多くの共感をいただくこともできた。

各地でこれらの小ネタにまつわる仮説とその効果などを
「KNT理論」として話すと思いがけず反響も得た。
ちなみにKNTは小ネタ(KONETA)の頭文字であって、
けっして大手旅行会社の略称ではない。

これまでの地域調査の発見をまとめた
KNT理論についてお話ししてみたい。

(続く)

東大社研・中村尚史・玄田有史編、東京大学出版会
『地域の危機・釜石の対応 多層化する構造』より
http://www.utp.or.jp/book/b508909.html
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784130302173
2020年7月2日発売予定

 

 

『地域の危機・釜石の対応(1)』

東京大学社会科学研究所の岩手県釜石市を舞台とした釜石調査は、
2006年に当時の全所的プロジェクトだった
「希望学(希望の社会科学)」として開始された。
釜石市での調査は、201619年度の全所的プロジェクトである
危機対応学でも継続され、その成果が
東大社研・中村尚史・玄田有史編
『地域の危機・釜石の対応 多層化する構造』
として6月末に東京大学出版会より刊行される。

テーマこそ変わったが、今後いかなる危機が生じても、
それなりになんとかやれるという自負や手応えこそが
希望につながるという思いは、釜石調査で貫かれてきた。

希望学の調査では、地域の希望を再生する条件として、
三つの要素を示した。その要素とは
「ローカル・アイデンティティの再構築」
「地域内外のネットワークの形成」
「希望の共有」だった。さらに
この三要素を貫くキーワードが「対話」
であることも指摘した。
この仮説は、東日本大震災という未曽有の困難を経験した今もなお、
妥当性を失っていない。むしろ、過酷かつ刻々と変化する危機群には、
これらの要素とそれらを繋ぐ対話の重要性は、いっそう高まったのが実状だろう。

希望再生の対話を進め、危機対応の実践的な手がかりを獲得するため、
さらに踏み込んだヒントを見つけたい。釜石の調査と並行し、
地域の創造や再生に向けて特徴的な取り組みを実践する市や町を訪れ、
それぞれの背景にあるものを探してきた。

訪れたの地域では、数えきれないほどの魅力的なお話をうかがった。
困難に直面しながらもそれらと対峙し、チャレンジを続ける場所には、
きまってユニークな経験と語り口を持つ人々と、
もっと聞きたくなるような印象的な話がある。
それはこれまで全国の市町村を訪問するたびに感じてきたことではあったが、
今回改めて強く印象付けられた。

(続く)

東大社研・中村尚史・玄田有史編、東京大学出版会
『地域の危機・釜石の対応 多層化する構造』より
http://www.utp.or.jp/book/b508909.html