運命

何年かぶりにV.E.フランクル『夜と霧 新版』(池田香代子訳、みすず書房、2002年)を読み直す。
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前に読んだときは「やけくそのユーモア」(24頁)などの言葉が印象に残ったが、改めて読むと、「苦しみ」という題により心が動かされる。希望も苦しみから逃れるところにあるのではなく、苦しみと共に歩み続けるところにこそある。

「おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげないなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。」(113頁)

「それはなにも強制収容所にはかぎらない。人間はどこにいても運命と対峙させられ、ただもう苦しいという状況から精神的になにかをなしとげるかどうか、という決断を迫られるのだ。」(114頁)

「だれもその人から苦しみを取り除くことはできない。だれもその人の身代わりになって苦しみをとことん苦しむことはできない。この運命を引き当てたその人自身がこの苦しみを引きうけることに、ふたつとないなにかをなしとげるたった一度の可能性はあるのだ。」(131頁)