長らく中断して失礼しました。今年最長の
中断かな。実は、先週からシンガポールと
オーストラリアに行っていました。
向こうでも書けるかな、と思ったのですが、
なんかできませんでした。
今年は不思議に海外出張が多くて。
これでひとまず終わりです。
相変わらず海外でも、ひとり呑み友の会
でした。シンガポールでは、日本で働いて
いた(富山!)経験のある、サチというフィリピン人女性の、
日本人の男性とのあいだにできた子どものいるダンサーに
偶然会って、話をしました。2月に帰国して子どもと
暮らすのが今の一番の希望だと。グッドラック。
シンガポールは、ラジオがたくさんある気が
しました。チューニングをしていたら、突然
小田和正が流れてきたのは、驚いた。
オーストラリアの話もまた今度。
投稿 : genda
労働力調査(詳細集計)7月~9月期発表
労働力調査のうち、特に就業や無業の中身や状態を
くわしくたずねた詳細結果が発表された。この詳細結果は、
信頼性のある標本数を確保するために、3ヶ月間の集計値
というかたちで報告されている。
そこから以前にも指摘した、失業者の現状が新たに分かって
きた。失業者が増えたとき、そこには2つの可能性がある。
新たに失業する人が増えるか、失業していた人が抜け出せずに
より滞留するようになるか、だ。
詳細結果をみると、2008年10月~12月期以来増加を続けて
きた失業期間3ヶ月未満の短期失業者が、今回大きく減少した。
それに対して、大きく増えたのは、3ヶ月以上1年未満の
中期失業者だ。現在のところ、1年以上の長期失業者はまだ
大きくは増えていないが、この傾向が続けば増加は時間の
問題だろう。
今朝の新聞でも、雇用調整助成金などによる休業措置などで
失業を土壇場で免れている人たちが200万人近くにのぼるの
ではないかと書かれていた。それらの人々が助成金が切れて
失業すれば、大量に短期失業者があふれ出す。だが、それと
同時に、現在の失業問題の根幹は、失業プールから抜け出せ
なくなった、失業の長期化現象の広がりにあることも忘れては
ならないだろう。
加えて詳細結果では、前職の雇用形態別失業者数の統計も
示されていた。4月~6月期に急増し、7月~9月期にも同様の
傾向を続けているのは、前職が正社員の失業者だ。その数は
100万人に達する勢いである。
2009年の年明けに話題となった派遣や請負の失業やパート・
アルバイトなどの非正規の失業も増えているが、それでも失業
は前職の雇用形態を超えた広がりをみせている。
2002年の7月~9月期と10月~12月期には、正社員からの失業者
は当時、100万人を超えていたことを考えると、冷静な対応も必要
だろう。だが、それにしても、今回の正社員からの失業の急増ペースは
すさまじいものがある。
先日のニューヨークタイムズでは、アメリカの最近の失業の特徴として、
解雇よりも採用抑制がより顕著であることと、既存労働者の実質賃金は
労働時間の現象もあって高まり気味であることを述べていた。なんだか
90年代の日本の失業のようだ。それに比べるとデフレが実質賃金の低下
につながり、正社員の雇用安定も中小企業を中心に危うくなった日本の
失業構造は、米国とは大きく異なりつつあるようだ。
この雇用総崩れの時代、何から始めればよいのだろうか。そういえば
アメリカの友人から「日本はアメリカのことが嫌いになっているのではないか」
と聞かれ、私には答えがみつからなかった。
たしかに危機の直接の原因は外国から発したものであろうが、それ以前に
恩恵を受けていたことも事実だ。またいつ起こってもおかしくない事態に
対して、1980年代以降からずっと減少を続ける自営業など就業の
最終基盤としての最整備を実現できてこなかったことは国内問題である。
さらには雇用を新たに作り出す雇用創出力は、1998年から衰退したままだ。
危機にはっきりと直面しなければ、変わらないものなのかもしれない。
ただ一ついえるのは、
犯人捜しをしている余裕など、今はどこにもないということだろう。
着陸不能
昨日、今日と、大阪の伊丹空港を
利用する。関西方面の出張は、
もっぱら新横浜から新幹線だけに
伊丹はめずらしい。たぶん数年ぶりだ。
その数年ぶりが印象深い。というのは
そのときも伊丹に行く予定ではなかった。
その日、松江で村上龍さんと対談のイベント
があり、出雲空港に降り立つはずが、視界
不良で降りられず、結局、伊丹に着陸した
のだ。
問題は、それからだ。時間にしてたしか3時半
すぎ。開会は6時半から(村上さんは米子空港
経由で会場入りしていた)。そこで、半分絶望的
な気分のなかで、空港からまず新大阪までタクシー、
そこから岡山まで行き、結局、岡山から松江まで
またタクシー。運転手さんの心意気もあって、結局
会場に到着したのは、開会の5分前だった。
だから伊丹はドキドキの思い出が残っている。
そんなことを思っていたら、今日は今日で、羽田が
天候不順で、利用する飛行機が到着していないという。
結局、1時間以上遅れで離陸。それまで修学旅行中
とおぼしき高校生たちと、搭乗口の前でただただ
だらーっとする。
伊丹は、自分にとって天候不順な思い出だ。
それでいいのか。
識らないで評価することは罪だ。
自分が識らないことの自覚もなく
勢いで判断することは愚かだ。
その愚行は歴史が必ず判断するが
彼らが生きている間に罰せられることは
ない。
人の世界の愚かさを思う。
報告
「たいへんなときにニューヨークにいましたね」
と先週、結構、メールをいただいた。
ただ、正確に説明すると、同じニューヨーク州でも
コーネル大学のあるイサカという大学街に、ヤンキース
の優勝当時やパレードのときは、いた。だから瞬間は
すべてテレビでみた。松井が活躍していた瞬間も
大学の人たちと懇親会(打ち上げ?およびなんと
初のアメリカ・カラオケ!!)をしていたので、ライブでは
みていない。
優勝の決まった瞬間は、12時頃でパブで
ひとり観ていた。周りでは叫んでいるヤンキースファンと
叫んでいるフィリーズファンがいた。ボクはさけばなかった。
イサカは、とてもおだやかな大学街だ。自然に恵まれていて
多くの議論が刺激的だった。911以降、ニューヨークシティから
移住してきた人も多いらしい。
私はカープファンであるけれど、同時にレッドソックスファンだ。
理由は、1995年にはじめてアメリカに長期滞在したのが、
ボストン(正確には隣のケンブリッジ)で、その期間、実に
頻繁にレッドソックスの本拠地である、フェンウェイパークに
足繁く通ったからだ。
当時のレッドソックスは、ピッチャーは
クレメンスがいたり、今も投げているナックルのウェイクフィールド
がいた。バッターは、4番は、モー・ボーンだった。弱かったからか
チケットは、すぐに手に入った。生でみて印象的だったのは、たしか
当時マリナーズにいたケン・グリフィー・Jrだ。なつかしい。
だから、今回この時期に、ニューヨークにいたものの、ちょっと複雑な
気分だった、というのが、率直なところでした。
以上、ニューヨーク通信、終わり。