SNEP (29)

 玄田)
 質問です。スネップへの支援としては
 どのようなことが大切だと思いますか?
 井村)
 統計でみるとスネップは家族型の方が
 「本人が焦りにくい」という
 理由で心配な状況なんですねー。
 若者の自立支援の現場でも
 一人で頑張らないといけない人よりも家族の
 庇護のある方の方がエンジンのかかりがゆっくりだ、
 というのは同じだなと感じました。
 ただ、私たちが出会う若者は若者支援の現場にやってくる若者です。
 思いの差はあれ、「今の状況を何とかしなくっちゃ」と
 ある程度エンジンがかかった状態でいらっしゃいます。
 なので、現場支援者の感覚としては、何とか自立に向けて動き始めた後、
 家族という大きな支え手を望むことができない一人型スネップの方の方が
 大変だなぁと感じてしまったのだということに気が付きました。
 全くエンジンがかかっていない人、
 「今の状態を何とかしなくっちゃ」と思う状態にない人、
 はお手伝いをされることを望んでおられない方々だと思いますので
 私たちには、「もし何とかしなくちゃ、と思った時に思い出して欲しいです。」と
 将来選択できる情報をお伝えすることくらいしかできないと思います。
 でも、そうやって提供した情報を持って、
 例えば2年前にお渡ししたチラシや、
 3年前の新聞記事を持っていらっしゃる方は
 実際におられますので選択できる情報を
 事前に何らかの形でお伝えしておく、
 ということは意味のあることだと考え
 活動しています。
 「スネップへの支援としてはどのようなことが大切ですか?」と
 先生に尋ねていただいて若者支援者としてまず最初に思ったのは
 10年前デンマークをぶらぶらしていた時に聴いた、
 「デンマークでは成人すると親の子への扶養義務はなくなり、
 代わって国に責任が移るんだよー」という言葉でした。
 今風にいうと、
 「家族による私的な扶養ではなく、社会による公的扶助を行う」という
 ことでしょうか。
 家族が守ればひきこもりが増え、社会が守ればホームレスが増える、
 などといわれることもあるようで、私はただの若者支援者ですので、
 国家の仕組みについて語ることはできませんが、
 家族による扶養に期限を決めるということはスネップへの支援として
 大切であると思います。
 昨日の読売新聞の夕刊では、社会福祉がご専門の
 日本女子大教授岩田正美先生が、家業を子が継承することが
 珍しくなかった時代には、家産を継承するものが老親を
 扶養することが自然だと見られるような実態もあったけれども、
 今は雇用されて働く人の割合が増え、その実態が変わりつつある
 ことを指摘されておられます。
 社会が変わっていっているのであれば、
 支援も変わっていかなくてはならないのではないかと思います。
 また、社会的に孤立している方が社会に参加する能力を持っておられたとしても、
 最初で最大のハードルとなるのが「社会性の獲得」です。
 これは一般に「コミュニケーション能力」などと表現される
 こともあります。
 若者支援を約30年されておられる、
 富山のピースフルハウスはぐれ雲の川又直氏は
 「親や学校は教育機関なので、本人を守るために
 最後は許してしまうけれど会社や地域社会はそうはいかない。」
 と若者の社会性の獲得が家庭教育や学校教育の中では
 なかなか身につきづらいことを
 昔から指摘をされておられます。
 孤立している若者たちを支援していると、
 この「社会性の獲得」ができる場を得られるということは
 今や当たり前のことではなく、贅沢なことなんだなぁと思います。
 (実際大学生の就活の支援などをしていても社会性を獲得していく
 ことができる要領のいい子からやっぱり受かっていきます)
 この「社会性の獲得」ができる場を
 どのくらい多様に作っていくことができるのか、
 これがスネップへの支援として次に大切になってくることかと思います。
 最後に「寄り添って、つながる」ということもスネップへの支援
 として大切だなぁと思います。
 昨日、家族が支えきれなくて心配な状態にある若者の所在が
 分からなくなりました。
 何か事件に巻き込まれてはいないだろうか、そんな心配も募ったので
 その若者が住む地域の民生委員さんに連絡を取ったところ、
 その若者が安全なところにいることが分かり、ほっとした、
 ということがありました。
 その民生委員さんは地域で、24時間、
 その若者に「寄り添って、つながって」くださっています。
 スネップがどこにいるかもちゃんと知っておられます。
 私たち通所型の若者支援者には到底できない寄り添いをされておられるので、
 「現場力、到底かないません。。。」というと
 「私たちは地域でなんかあったら私たちが困るからやっているのよ!」
 「それよりあなたみたいに地域に住んでいなくても関わってくれる人が増えて
 助かるわ―」とまでおっしゃって下さいます。
 私はスネップの状態にある方を支える方が増えれば増えるほど安定する
 のでは、と思います。
 関西大学臨床心理専門職大学院の石田陽彦教授が
 「公助を求めると国がつぶれる、自助を求めると自殺が増える、
 大事なのは共に助け合う共助」といつもおっしゃいます。
 共に助け合えるための一員と少しでもなれるために
 今後も勉強していきながら活動を続けていきたいと考えています。
 たちかわ若者サポートステーション
 井村良英
 ○
 「社会性の獲得」
 「寄り添って、つながる」
 「支える人が増えれば増えるほど安定する」
 スネップ支援の大事なヒントをいただきました。

SNEP (28)

 
 原田正純先生がお亡くなりに
 なりました。心よりお悔み申し上げます。
 
 本当の支援とは何かについて、
 水俣病の歴史から学ばなければならないことが
 まだまだたくさんあります。
 ○
 スネップの第23回で紹介した
 たちかわ若者サポートステーションの
 井村良英さんからメールをいただきました。
 
 スネップについてのご自身の感想も
 述べられていたので、井村さんの許可を 
 得て紹介します。尚、そのなかで触れられている
 方々からもご紹介の許可をいただいています。
 ○
 玄田先生
 お元気ですか?
 たちかわ若者サポートステーションの井村です。
 先日はHさんとの対談をブログで取り上げて
 いただきましてありがとうございました。
 「スネップ」と聞いてまず思い出したのが
 Hさんたちのような、家族という支え手の
 いない若者たちのことでした。
 私も若者の自立支援の仕事をするまでは、
 「スネップ」の状態にある人に触れ合うことなかったので、
 知る機会はないけど知ってみたい、
 という方に現状をお届けしたい、と考えていました。
 その想いを受け留めていただけたようで嬉しかったです。
 なぜ、孤立している方に通常はなかなか出会うことができないのか。
 それは、孤立している方ができるだけそのことを知られたくない、
 何とか克服するまでは!と思って過ごしておられるから
 だと私は思います。
 私が勤めているたちかわ若者サポートステーションは
 厚生労働省からの委託事業ですが、
 年間延べ利用者は8000人を超えています。
 ハローワーク一歩手前の若者(15歳~39歳)が
 職業的自立のための相談にやってくるのですが、
 Hさんのように社会的に孤立している無業者の方たちも
 多くいらっしゃいます。
 最初は孤立していることはわかりません。
 Hさんも対談の中で、
 一人でどのような一歩を踏み出してよいのかがわからなくなり、
 自暴自棄になってしまった事がある、
 と告白されておられましたが、私たちが出会う
 それらの方々はまるで、
 負うことのできない荷物を背負わされて歩く荷物の運び人
 のようだなぁと感じることがあります。
 先日、17歳の少年から
 「3日間ご飯を食べていません、助けてくれませんか。」
 と電話がかかってきました。
 その少年は2歳の時から児童養護施設で暮らしていましたが、
 お母さんはいます。
 彼は高校を中退しているのですが
 中退してしまうと、実は児童養護施設では
 暮らしていくことができません。
 住むところもなく、頼る人もない中で連絡をしたお母さんに
 「あなたにできることは何もない」
 と言われ、私たちのところに電話をしてきました。
 Hさんとの対談の中でもちらりと話が出ていますが、
 「2週間ご飯を食べずに過ごすことは死ぬより辛いことだった」
 とホームレス時代のことを教えてくださった31歳の男性がいます。
 その彼も実は故郷に家族がいますが頼ることができない事情があります。
 若者支援の現場にいても、家族が家族を支えきれない時代に
 来ていることを感じています。
 そして家族という支え手がなくなった時に、
 背負わされる荷物が突然あまりにも重くなるということも。。。
 家族という支え手がいなくなること、
 家族がいたとしても支え手となり得ないこと。
 想像しづらいことかもしれませんが、実は
 誰の前にもあることだと若者支援の現場で感じています。
 先生はいかが思われますか?
 井村良英
 *17歳の少年、31歳の男性からはお話を伺った時に
 お話を公開する許可を得ています。
 ○
 スネップには、
 家族しか頼りにできない「家族型」
 と
 家族すら頼りにできない「一人型」
 がいます。
 私は、井村君から話をうかがう前は
 より深刻なのは、実は家族型ではないか
 と思っていました。
 というのは、家族型スネップは、
 仕事を探していないことも多く、
 インターネットなどで社会とつながっていることが
 抜きん出て少ない傾向があったからです。
 それに対して、一人型スネップは、
 統計的には、非孤立無業以上に
 職探しをしたり、インターネットを活用している
 ことも多かったからです。
 しかし、統計はあくまで全般的な傾向を
 明らかにするもので、一人ひとりの違いを
 知るには限界があります。平均すれば
 職探しをしたりしていることも多い一人型
 のなかにも、働くことをあきらめている人は
 少なからずいるのです。
 統計の数字の裏に隠された苦しさ、
 井村さんの言葉を借りれば、家族からも
 孤立し、たった一人で
 「負えない荷物を負わされているかのような
 苦しさ」を感じている人たちの姿を
 見過ごすところでした。
 井村君、貴重なお話をどうもありがとう。
 ゲンダラヂオでは、支援現場などで
 日々スネップ状態の人たちと向かいあって
 いる方の実際の声をご紹介させていただければ
 と思っています。実名でも、匿名でも結構です。
 ぜひともスネップについてご意見やご感想を 
 genda_radio@yahoo.co.jp
 までお寄せください。
 

SNEP (27)

 スネップのなかには、もうこれ以上
 迷惑をかけたくない、できれば放って 
 おいてほしいという気持ちや感覚が
 一部にあるかもしれない、という
 ことを書きました。
 あまりに現状が厳しいときや
 過去に何度か状況を変えようと
 努力して、それでも何も変えることが
 できなかった経験を持つと、
 そのような気持ちになりやすいのかも
 しれません。
 しかし、私は何度でも、どれだけでも
 迷惑はかけていいのだと、思います。
 支援現場を、もっと利用する、迷惑を
 どんどんかけてほしい。
 この10年をみていて、困難な状況にある
 特に若者を支援する体制は、驚くほどに
 整備されてきました(もちろん完全では
 ありませんが)。
 支援の現場で活動を続けている人たちは、
 スネップ状態にある人たちから相談される
 ことを、迷惑どころか、ずっと待っていると
 思います。
 もちろんすぐに一気に状況を変えられること
 ばかりではありませんが、それでも社会から
 孤立した人たちに伴走しながら、同じように
 悩みながら、状況を変えていくという経験を
 積み重ねてきています。
 そのなかで、人間はどんなに苦しい境遇
 からでも、他人の助けをときに借りながらも、 
 自らの力で状況を少しずつ変えていくことが 
 できるのだということを、体験しているのです。
 やや大げさな言い方をすれば、人間が自ら
 変わっていくことができる力が備わっている
 ことに感動をおぼえることも多いのです。
 ですので、ぜひとも迷惑とか、恥ずかしいとか
 考えることなく、まずは相談に行っていって
 ほしいと思います。行ってみて、状況が
 変わらなくても、あきらめることはありません。
 最近は、探せばいろいろ相談できるところは
 あります。「どこかウマがあう」人に出会うこと
 ができれば、確実に状況は変わっていきます。
 本人がまだ望まないとすれば、家族や知り合い 
 が相談に赴くのでもかまいません。
 最後に、もう一つ、スネップが増えるとなぜ
 問題なのか、について。
 以前、ウィキペディアで「玄田有史」を見たら、
 「玄田のニート問題に対する主張は、ニートの
 増加は将来社会的コストにつながるということの
 ひとことに尽きる」といったことが断言してあって、
 ちょっと驚くというか、笑いました。へー、そうなんだ
 と思いました。今は、なぜか、その書き込みは
 なくなりましたが。
 たしかにニートにせよ、スネップにせよ、これ以上に 
 増加を続け、自立して生活ができない人が増えていく
 ことは、財政赤字が危機的な状況にある日本では
 なんとか避けなければならないことだと、思っています。
 そういう意味では、スネップも、個人や家族の問題に
 とどめることなく、社会の問題として考えてほしいという
 思いはあります。
 それから長期的には、日本は人口減少によって確実に
 働き手が不足する状況が待っています。経済の活力を 
 削ぐだけでなく、社会保障の担い手も足りなくなります。
 
 そのためにも働き手を一定程度確保することは、とても 
 重要なことです。ここ最近、60歳以上の就業者は着実に
 増えつつあります。一方で、スネップが表すような働き盛り
 の無業者は、どんどん増え続けているのです。
 働きたくても働けない主婦(主夫)の問題解決とならんで、
 スネップの問題解決は、働き手を確保するためにも
 大事であることは、やはり言っておきたいと思います。

SNEP (26)

 ● スネップであることは、
 いけないことなのでしょうか。
 スネップが増えることは、本当に
 問題なのでしょうか。
 たいへんにむずかしい質問です。
 がんばって考えて、答えてみたいと
 思います。
 ひきこもりやニートのときもありましたが、
 働かないのも本人の自由という考え方
 があります。同じようにスネップも、本人が
 望んで家族以外の誰とも交わらず、働いて
 いないのだから、とやかく他人がいうことでは
 ない、という意見もあるでしょう。
 ただ、私には、自由とは、やはり自分自身で
 積極的に獲得し続けていくものではないかという
 思いがどこかにあります。
 働かない状況に移行する瞬間には、何がしか
 移行の理由があるものです。探したけれど
 仕事がみつからなかった、会社が傾いて仕事が
 なくなった、病気になって働けなくなった等。
 スネップになるきっかけはあると思います。
 ただ、スネップの状態が長く続いているとき、
 そこに、その状態を続ける明確な理由はありません。
 自分でもよくわからないけれど、動き出せない、
 体も心もいうことをきいてくれないという感覚が
 近いように思います。
 そのような状態を、自分が自由で選びとった
 ものであると考えるのは、私にはとても無理が
 あるように思うのです。
 
 無論、別に今の状態(=スネップ)でいいんだ 
 という人も、調べてみれば、きっといると思います。
 ただそれも、どうしようもない状態を、あきらめたり、
 どこか正当化しなければ生きていけないといった思いから
 やや刹那的に口にすることが多いのではないかと思います。
 ただし、よく調べてみたり、実際に詳しい人の話を聞いてみる
 必要がありますが。
 それに人と交わらず、働かない自由があるとしても
 その自由は、一緒に暮らす家族によって保障されている
 面も大きいかもしれません。それが経済的に余裕のある
 家族で、働かず誰とも交わらなくても十分に生きていける
 というのであれば、たしかに他人がとやかく言う問題では 
 ないのかもしれません。しかし、調べてみると、ニートも
 そうでしたが、スネップも、特段に裕福な家庭から多くが
 生まれているという統計的な裏付けは得られませんでした。
 だとしたら、これまでの貯金に加えて、年金などで生活
 している親の収入を頼りに、スネップを続けている人が
 少なからずいるとすれば、それは年金を含めた社会保障の
 使い方として、はたして妥当なものなのだろうかという思い 
 をどうしても持ってしまいます。
 以前、ある方と対談をしたとき、働くことに
 意味を置きすぎていると意見されたことがありました。
 日本人は働くことに希望を置きすぎている、むしろ
 生きることそのものにもっと重きを置くべきだといった
 ご主張でした。
 働くことはたしかに生きる一部でしかないのかもしれません。
 スネップが意味していることは、働かないということが
 社会とのつながりを欠くことを意味する傾向がどんどん
 強まっているということです。社会とのつながりを失う
 ということは、生きることを難しくします。
 人はおカネやモノに満たされているということだけで
 人間らしい生を全うすることは困難だと思います。何らかの
 意味で、社会との交わりがあってこそ、喜怒哀楽があり、
 生きていることの意味、生きることの本当のよろこびや、
 生きることの本当のかなしみを、実感できるのではないかと
 思います。
 
 それから、これも実態から詳しく調べてみないといけないのですが
 スネップのなかには、自分が働いたり、人と交わろうとする
 ことで、これ以上、誰かに迷惑をかけたくないといった思いも
 少なからずあるような気がします。
 それについては、明日、お話したいと思います。
 

SNEP (25)

 さまざまな新しく独創的な若者自立・就労支援の
 活動を続けているNPO法人に
 「育て上げネット」があります。
 http://www.sodateage.net/
 育て上げネットは、定期的に
 メールマガジンを発行しています。
 メールマガジンをご覧になりたい方は
 melmaga@sodateage.net
 までご相談ください。
 その最新号で、理事長の工藤啓さんが
 スネップについてのご意見を記されています。
 工藤さんの許可を得て、ここに引用します。
 ○
 今週の「週刊エコノミスト」(毎日新聞社)エコノミストレポートで
 東京大学の玄田有史先生が寄稿されています。
 「ニート予備軍 孤立無業者「スネップ」が急増している」
 紙面によると
 「スネップとは、他者と接触のない無業者
 のことを言う。その急増は社会保障費
 の増大に直結する。自立支援の手を差し伸べる対策が急務だ。
 で説明されている。総務省「社会生活基本調査」を元に20歳以上59歳以下の
 在学中でない未婚者で、ふだんの就業状態が無業のうち、一緒にいた人が
 家族以外に一切いなかった人々(調査された連続二日間)を調べたところ
 1996年には無業者の30%に届かなかった「スネップ」が、2006年には
 60%近くに上昇していることがわかったそうです。
 つまり、現在の日本社会は「無業者」であることと「孤独」状況に密接な
 関係性が見て取れるということです。詳細は紙面に譲りますが、
 これまで実際の支援現場に来られる若者も”感覚値”では、比較的家族
 以外の他者とコミュニケーションを取っていないタイプが多かったわけですが
 それを論拠を持って証明することはできませんでした。ひとつには
 相談を受けるにあたってわざわざ「友達いますか?」「孤独でないですか?」
 という項目を立てて、すべての方にヒアリングするわけではないからです。
 もうひとつは、相談をしたり、オープンなコミュニケーションの場で観察
 すると「人慣れ」「話慣れ」していないことを把握することができたからです。
 ちなみに、この紙面では、スネップの方のうち、電子メールの送受信を
 しているひとは40%程度だそうです。つまり、60%はメールも使っていない。
 「自宅でずっとネットやっているのでは?」という話はよくでますが
 感覚値でも、ネット依存型の若者はほとんどおらず、むしろ予想以上に
 使っていない感じがしています。
 そうなると、とにかく難しいのは「出会う」ことであり、重要なのは
 アウトリーチ/(家庭)訪問支援などに頼らざるを得なくなるのではないかと
 思います。
 NEETという言葉が日本に広まりかけた時、英国に調査に行きました。
 そのときにご担当者が話をしていたのは、
 「NEET状態の若者をどうするかも重要だが、何よりも重要なことは
  UnknownをKnownにすることなんだ」
 と言われました。何をしているのかまったく把握されない状況にある方と
 とにかく接触できるよう努力をして、「何もしていないこと」「何かを
 していること」がわかることに全力をそそぐことが重要であると。
 「何をしているかわからない」を、「何もしていない(できていない)」こと
 がわかるようになること。
 もしスネップという言葉が広がるとしたら、この部分にしっかり取り組む
 こと。そして、「来る(来られる)を前提としたサポートにしない」ことを
 強く意識していくべきだと考えています。
 このメルマガを読んでくださっておられる方は、若者への目線がやさしく
 社会課題としての若者支援に理解がある方ばかりなのですが、
 定義がある状態を示す言葉が、「やる気」とか「怠け」といった定義を
 無視したイメージや、「自己責任論」で語られたりしないことを
 願います。 
 
 理事長/工藤 啓
 ○
 unknownをknownに
 ということに、私もとても 
 共感します。
 よく問題解決が必要といわれますが、
 本当に深刻な問題はそんなに簡単に
 解決しません。
 
 むしろ大事なのは、問題発見です。
 本当に大事な課題は発見すらされず、
 当然、解決もしません。
 一方で問題が発見され、共有と共感が
 広がれば、解決に向けて大きく前進する
 という実感があります。
 スネップもそうなってほしいものです。